小学生が男女混合で遊ぶ理由
娘の誕生日に見る「男女混合で遊ぶ小学生」の話を先日書いた、そのもう一つの側面。
世の中、変わったな。任天堂さんが創る「ゲーム」に見られる、子供たちの人間関係の変化。
流行りのゲームには「男の子向け」「女の子向け」が無い。だから、家でゲームしよう、って言えば、自然に男女が集まる。
昭和生まれの私から見ると、驚きの光景だ。昔は、男の子の遊びと、女の子の遊びは、ほぼ完全に別だった。
逆も言える。一人っ子や、うちみたいに男女一人ずつの兄妹でも、親が面倒を見ずに静かに遊んでいて欲しい。働くお母さんが、小学生の遊び相手をする時間は、限りなくゼロでなければならないのだ。友達と約束しようにも、習い事で会えないことがほとんど。
だからこそ、男女誰でも遊べるゲームがウケる。核家族や、地域の絆がない家庭にとっての必需品であり、頼もしい救世主だ。見守り機能で、時間の管理までやってくれる。
うちの場合は、そのうえに兄妹で遊ぶことが日常だから、妹的な友達、お兄ちゃん的な友達と仲良くなりやすい。
ただし、誕生日に遊びに来た女の子たちは、ゲームを持っておらず、ひたすら空想遊びをしてゲラゲラ笑い合っていた。多様化というか、比較的お母さんが家にいる家庭は、ゲームが無いことが多い印象。
それでも、男女で遊ぶことは当たり前の様子。
この子たちの未来は、どうなるのかな。男女の役割が変化して、「8時間勤務」+「残業」=「正社員」の当たり前の価値観が崩れざるをえない時代が来るように思う。