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不幸自慢をする人の心理

 

不幸自慢をするAさん。自分の身の上を語りながら、毒親について、DV夫についてなど、さんざん家族についての文句を言う。

私もそういうことがあったから分かるよ、と自分の不遇な経験を持ち出して共感を返すBさん。

そうするとものすごい腱膜で怒ってBさんとの縁を切るAさん。Aさんの怒りの内容は、Bさんが自分のことばっかり話して自己中心的だ、重い話はストレスになるから勘弁して欲しい、というもの。

この不思議なやりとり、Aさんにとっては、せっかく自慢をしたのに、上を行く不幸を語られると、不幸比べに負けた気がしてこの上なく腹が立つのだと思う。不幸を笑顔で語る人の場合、意外に共感は求めておらず、賞賛や承認を求めていることが多い。せっかく頑張ったのだから、すごい唯一無二の経験をしたんだね、と特別視されたい。同じ土俵に立たれたくない。

少し違う言い方をすれば、もちろん自己中心的なのはAさんの方だと思うが、Aさんは自身のストレスで人の話を聞く余裕がない。そのため、共感し合うところまでいかない。結果、自己中心的にならざるを得ない。

これが「不幸自慢」というもの。不幸話をしてはいけない、ということではない。「不幸自慢」と「信頼する相手への相談」は異なる。その不幸話が「自慢」に当たるかどうかは、問題の原因を他人や外部に求めて人を見下す態度、が鍵だと思う。親のせいで、という他責や、みんな馬鹿ばっかり、というような、人を十把一絡げにするような発言や、これだから男は、女は、と属性を一般化する発言。

人はみんな未熟で、人生という道の途中だ。そういうAさんのような人の話を聞いてあげるのも悪くない。根底には、一人で苦労したことに対して、寂しさがあるのだと思う。こういう時は、相手の話に共感を示そうとして介入せず、あまり真剣に受け止め過ぎずに聞いておくのが良いかもしれない。ただ、「大変でしたね」「頑張ったね」と。Aさんもいずれその段階を卒業するかもしれない。Aさんはそういう人、と決めつけないことだ。間違ってもアドバイスをしないことだ。やはり笑顔に見えてもつらいのであって、ご本人にとって、上から分かったような意見をされることが最も苦しい。あと、今後のブログで書くかもしれないが、自己中はダメではなく、人として自然ではある。

もう一つの「不幸自慢」に、自分がいかにダメ人間であるかを確認したい、という場合もある。「そんなことないよ」と声をかけると不満げだ。この場合もまた不思議で、自分がいかにクズであるかを確認して安心したいので、自己否定を否定されると不安になる。もちろん、「そうだねダメだね」という共感も傷つくので、「そう感じるんだね」と流れに逆らわない反応を返すことだ。

他にも、共感が欲しい場合もあると思うが、推察しにくいちょっと不思議な心理の例を選んでみた。

また、自慢ではないものの、笑顔で不幸話をする人の場合。これは私自身も、不幸話を笑顔で話すことが可能だ。そういうことを話さなければならない場面が多いので話し慣れていて、不幸を扱うことに慣れていて、その外の世界をよく知らない。不幸を乗り越えて生きてきた自分を誇らしくさえも思っているし、それをネタに仕事をしている。いつでも軽い気持ちで話せてしまうからこそ、話す場面を意識して、話し方も選んで、基本言わない方が良い、と思っている。