卒園、7年間の保育園送迎
卒園。
私にとっては、7年間の送迎生活が終わる。息子1才から保育園に入園、子供二人が年長と年少の11月に転園。ありがたいことに待機の経験もなく。3才の誕生日が来る学年までは、入園から毎日、連絡ノートをつけて保育士の先生に渡す。毎日みっちり隙間なく字で埋め尽くした育児日記。大人になるまで取っておくつもりだ。
私は育児が好きだと思う。一方、育児が上手くいかなくて、あまりに手がかかって時間がかかって、苦しみ抜いた7年間でもあった。
何も悩んではいない。育児への苦手意識もない。悩む暇などなくて、ただ、一つ一つ解決すれども、まだ目の前に大きな山があるという感じだった。
絶対に繰り返さない、連鎖しない。やったらいけないことは、痛いほど分かるのに、やった方が良いことというか、根本的に母親とはどういうものかが分からないし、何が分からないかも分からない。だからせめて、上手くいったことを文章に書いている。
娘は、園ではしっかりしていて、先生から一目置かれているようだ。決して環境の良い家庭に育ったのではなくて、家庭環境でも過敏体質でも苦しむことの多い娘が、外で完璧に振る舞えるのは、幼いながらも、本人の努力と美意識としか言いようがない。愛情たっぷりに育った、育てやすい子、ではないのだ。精神的に強くもない。
そのことを誰よりも理解し、気付いてくださった、今の娘の担任の先生。私より20ほど歳下ではないかと思う。娘の年少と年長の二回、お世話になった。最初にお会いした時は、何も分からない新人の顔をしていた。
担任の先生は、保育が大好きなんだと思う。子供一人ひとりが可愛くてたまらず、一人ひとりに立派な卒園アルバムを作って、手紙を書いて、卒園式の式次第の切り絵も、園内の装飾も半端ない。徹夜したかな。
一方で、子供に対しては努力を要求せず、ゆとりある繊細な対応をする先生。卒園式で一番泣いていた。当然だ。頑張ったもんね。頑張った、を通り越して、究極の趣味だ。いい仕事している。何がこんなに先生を駆り立てるのだろう。
娘は園で、素敵な友達が出来て、たくさんの愛を受け取ったと思う。子供は、家庭で愛されることだけでなく、むしろ、たくさんの人に少しずつ愛されることが、子供を強くすると、私は信じている。
「発育」という観点の保育園から、「教育」の観点の小学校へ。6才、まだまだ発育の途中なのにね。