話せない先生、話さなくても伝わる先生
小学二年の息子の保護者面談があった。
担任は、私よりだいぶ年上のベテランの女性。エネルギッシュでキリリとした、常識的考えのしっかりした方。学校にきちんと通えない息子への対応を、毎日真剣に考えて下さっている。
息子は、二年生の四月末から体調を崩し、それ以降、良くならないまま現在に至る。ときどき学校を休んだり途中から行ったり、朝から行ける日はほとんど無いし、宿題も進まない。見た目には何も問題なく見えるが、ほんの少し根詰めると脳貧血を起こしてしまう。午前はほとんど不調。一年生の時は問題なかったのだが。
一年生の時の担任は、若い女の先生。他のお子さんと少し違う息子を見て、全力で頑張っていますと、苦しくても笑顔を絶やさないと、評価して下さった。鋭い観察力で、特別な子には特別な対応をする方針の先生だった。息子の本質を見抜いている。
何十年前か、私の小学校一二年生の担任を思い出す。新任の女の先生。
その先生は、ある日私が、放課後の誰もいない教室で机に顔を伏せていると、「泣くんじゃないの。」と珍しく厳しく叱って下さった。やんちゃで活発な男の子二人に、悪質ないたずらを連日された。いじめに遭っていたという感じではないのだが、この日は、真新しい算数(下)の教科書の大半のページに、鉛筆で大きく濃く絵を描かれた。100ページ以上あるというのに。彼らは友達だし、嫌いではないが、どうしても悔しくて悔しくて、この顔で家へは帰れずにいた。母には話せない。笑われ、叱られる。
先生は、彼ら友達のことを一言も悪く言わなかった。嬉しかった。先生が長々と話して下さったことは、自ら被害者になるな、ということ。彼らの思うツボだ。私もそう思う。もしかしたら少し変わっているかもしれない私の思いを、言葉にして下さったことが、嬉しくて嬉しくて余計に泣いた。
私はその後、こういう先生には、出会わなかったが、先生という存在に対して、絶対的な信頼感を持ったと思う。良い先生とか悪い先生とか、察して欲しいとか、そういう話ではない。思いを理解するのに言葉の必要ない人、それは、めったに出会えない貴重な存在だ。親子でも難しい。
息子の現在の、二年生の先生にとって、息子は理解しにくい子だろうと思う。息子もときどき、「先生とは話せないんだ。」と言う。先生はちゃんと聞いて下さっているが、慢性疾患で休むと、風邪が流行ってますから無理ないかもしれません、明日は待ってますよ、と温かくノートに書いて下さっているし、本当はもっと頑張れるよね、と激励して下さる、その感じが、息子からすれば、話せない感じ、なのだろう。
素直で可愛いお子さんばかりの、素晴らしいクラスだ。途中から行ったりしても、クラスのお友達が、誰も遅刻だとか笑わずに、全員が笑顔で喜んでくれる。クラス全体をまとめることが上手な担任の先生で、息子の仲良しの子がどんどん増えている。二年生になって、お友達がうちに遊びに来るようになった。他のクラスの子まで。私も嬉しい。