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「残さず食べなさい」は自分の命 < 食べ物の命

 

私は子供たちに、「食べ残しなさい」と教えている。昭和生まれ世代の多くは、「残さず食べなさい」教育。

昔は、小学校の方針によっては、給食を残さず食べるまで居残り、なんてことも。残しちゃいけない子供たちは、大人になって飽食の時代がやってきて、肥満や成人病に。「残さず」の人は、おそらく短命になるのではないかと思う。当時の先生方は、戦後の貧困などから、食べ物を最後の一粒まで大切にと教えた。食べ物を大切にすることは、大切なこと。

でも、残さず食べると動植物の命が助かるわけでもなく、食糧難の国に食料が届くわけでもなく、ましてや食べ残すと届くわけでもなく、食べれば食べるほど大きくなるわけでもない。ただ自分の体に無理をして、自分を粗末に扱うかどうかの問題だ。

娘の保育園では、自分で食べられる量を自分で盛りつけ、制限時間内に食べられなければ残す。息子の小学校のクラスでは、自分で食べられる量を自分で盛りつけ制限時間内に食べられなければ残す、そこまでは同じだが、その上に、少量でも全品盛りつけなければならず、食べ残すと、最後にフルーツ等が出てこない、というルールがある。

息子は小学校で、何も食べなかった、と言って帰宅することがしばしば。その理由の一つは、以前の息子の保育園。40〜50代の保育士の先生方が、「残さず食べなさい」を実行した結果、息子は何度も体調を崩し、園のルールからすれば呼び出しの電話が入るところだが、普通にお迎えに行くと、普段通りに体調を崩しましたと言われ、お着替えを返却される。こんなにも食べない子は、ベテラン保育士から見ても珍しいようだ。

だから息子は、絶対に小学校の教室で失敗をしないよう、なるべく給食を食べない。食べないから、唯一安心して食べられる天然もの、フルーツ類も、まだほとんど食べたことが無いそうだ。息子の昼食は、牛乳だ。

給食のフルーツ類は、市の栄養士さんが考えた大切な栄養素の一部で、デザートではない。先生の判断で提供しないのは、時代に合わないかと思う。これからの子供たちは、自分の食事の量や内容を、自分で判断しないといけない。そして、適切な量は、見ただけで分かるはずがない。カラっとした揚げ物と、ギトギトの揚げ物を、事前に判断せよというのは大人でも難しい。

だからうちでは、夕食を少し作りすぎたかなと思う日は、そのように伝え、食事量を自分でコントロールして欲しいと、子供たちに伝える。最後の一口がちょっと多いかなという時も、その一口を残すようにと。体の声に敏感になってほしい。命をいただいているのだということも伝える。

だからといって、食べ物のために、自分の体を犠牲にする必要はない。食べ過ぎの恐ろしさも、同時に教える。食べ過ぎは、何よりも寿命を縮める行為であり、子供の成長を遅らせる危険因子なのだと。小柄な子供が、食事を頑張らされていたりするが、逆効果だと思う。

そもそも最近は、敏感な子が食べ物ではないと判断するような、化学品の食べ物が多く出回っている。息子ははっきりと、食べ物ではなく、お薬だと言う。そんな息子が選んだ食べ物を、私は尊重し、むしろ従っている。

これからの子供たちが、食べ物の命を大切にしつつも、自分の命を一番に、何よりも一番に大切にできますように。