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どんなお母さんになるかは子供で決まる

 

日曜は、上の子が野外活動に参加している間、娘と公園めぐり。

行き先はすべて娘が決めた。娘が指差した方へ行き、保育園近くの私が知らない公園へ案内してもらい、昼食も娘が選んだ。

娘は、普段しょっちゅう泣くのに、私と二人きりだと、疲れたとも言わない。ずっと外。ずっと走っている。上の子がインドア派なので、こんなに外遊びをすることは滅多にない。

健全だなあ。いいお母さんになれた気がする。こんなにのんびりで良いんだっけ、と、時折そわそわする自分。手が掛からな過ぎて手持ち無沙汰だ。ここでスマホとか見ちゃったら、いいお母さん台無しなんだろうな。見ない見ない。出してはしまう。

育て方、っていうのは半分は、子供自身がどんな子かで決まるのではないだろうか。

私でも、子供二人それぞれの前で、違ったタイプのお母さんになっていると思う。育てやすいタイプの子なら、ある程度いいお母さんになれるし、お母さん側で子育てに苦手意識があると、子供も育てにくい子に育つだろう。子供だって生まれた時から一人前の性格を備えていて、お母さんに影響を与える。お母さんが子供の性格を決定づけるわけではない。人間関係は常に双方向。

ちっとも育てた通りになんか育っていない。でも結局子育てとは、心を育むとは、いかに上手に躾けたか、でもなく、自己肯定感を育んだか、でもなく、夫婦仲でもなく、栄養バランスでもない。一つは、良いところに気づくこと、可能性を信じること。もう一つは、困った時にいかに向き合い、見守ったか、なのかなと思う。

自己肯定感が過大評価されているが、私は、自己肯定感が低くて素敵な人を何人も知っている。それに、私の二人の子供でも、娘の方が圧倒的に自己肯定感が高い。必ずしも育て方だけで自己肯定感が決まるわけではない。

娘と過ごす一日のうちに、あれ、背が高いなあ、大人っぽくなったなあ、しっかりしたなあ、と何度も思った。娘を少し遠くから見ると、頭と胴が小さくて、華奢で、手足ばっかりで、あまり幼児体型ではない。我が子を遠くから見ることってあまりないんだけど、よその年下のお子さん達と並ぶと、本当にお姉さんだ。

そうか、上の子が隣にいないから、そう思うんだ。5才。いつの間にか大きくなっていたことに驚いた。毎日見ているのにね。