日常生活、我が家の1か月
第一週は、派遣会社の人が会社に面会に来たのと、学校行事に合わせて会社の休みを調整し、残り時間で友人と恵比寿でランチ。深い話。
最初の週末は、保育園のクラスの子たちと、川崎で手ブラのバーベキュー。グランピング、って言うんだってね。
二週目は、金曜から娘が発熱と食欲不振で園を休み、クリニックを受診して登園許可が必要な感染症かどうか確認し、ついでに喘息の薬だけもらっておいた。
次の日曜は、息子の野外活動の送り迎え。
三週目、月曜には娘は登園できて、小学校でスクールカウンセラーの先生と面談の後、私が消化器科を受診。なんで一年間も放置したのかと、医者から言われた。子供の受診のたびに小児科で相談していたが、痛み止め出しますか、としか言われなかった。ついでじゃダメなんだな。すぐに総合病院で腫瘍が無いか精密検査を受けることになった。良かった。大したことないのに何で来たの、って言われるかと思った。
前月に、ヘルニアで整形外科に行ってみたら、起きられて歩けるのに何で来たの、って言われた。実はその一年前にも、別の整形外科で同じことを言われた。昔から首と胸椎が悪い。腰ではない。
木曜から息子が嘔吐と発熱で、入学以来初の欠席。息子から目が離せないので、娘も保育園に送れない。私は、会社に欠勤の連絡と、保育園に便乗欠席の連絡と、次週の病院の検査も、念のため12月に延期にした。12月に予約していた、卵巣嚢腫と子宮頸癌と子宮筋腫の経過観察は、押し出しで1月に見送り。
息子は、症状が落ち着いてから翌日にクリニックへ行き、流行りの症状なので登校許可を確認し、ついでに喘息の薬だけもらった。
なんてありがたいんだろう、と思った。予定が減ってほっとしたのだ。子供の服の取れたボタンとか、園の古いお便りの処分とか、1年分の簡単な家計簿とか、寝具の洗濯とか、一気にいろんなことがフル回転で片付いた。
四週目の月火、息子は、学校行事の音楽祭に何とか出席し、保護者観覧の日は、いかにも元気そうな笑顔で歌と踊りを発表したが、家では嘔吐の症状は治まらず、祝日と木曜、続けて休ませた。
息子は3才頃から、喘息や自家中毒などと診断される慢性嘔吐の症状があり、不登園気味だった。嘔吐の癖が復活しないように、胃腸環境が万全になるまで見届けたい。治り切らず長期にわたって休むことになると本当に困る。
金曜、息子は無事に登校、娘は朝食中に座席で逆立ちをしようとして変な具合に転倒し、目の上を切った。泣きながら血を拭き拭き、登園したが、受診を勧められて預かっていただけず。アクロバット癖で、1日1箇所くらいの頻度で負傷する娘。
会社に連絡し、近所のクリニックに片っ端から連絡したが、子供の顔の傷、となると外科でも小児科でも診てもらえない。放っときゃ治るのに。と思いながら、放浪した末に近所の総合病院に入った。予想どおり、触らずにそっとしておくしかないと、何の処置もなく、初診料3千円。保育園が預かれない事情を、医師が察して下さったので、気分は悪くない。
最後の週末は、品川で昔からの友人たちで集まってランチ。何年経って集まっても、また新たな話題で話が合い、子供たちも自然と気が合って、自分が当たり前に理解されていることが気楽でありがたい。
その後、息子は少しお腹をこわしたけど大丈夫だと本人が言っていた。友達に会って興奮したんだろう。息子は、自分でそうなることは分かっていて、あまりお菓子をもらわないように、ずいぶん自制していたようではあった。
月末は昼休みに社長と上司とランチ。いつも二人とも忙しそうで、入社以来一度も、一緒にランチに行けていなかった。ようやく。
仕事は、何か月も前から保留になっていた会社案内やサービス案内がようやく印刷に回り、チラシや社内報を作成、ホームページの整備がひととおり済んだ。社内のレイアウト変更を提案しようと思って社内の図面を書いたが、みんな忙しそうなので、少しだけ機会を待とうと思う。
こんな11月。止むを得ず何度か休みが取れて、ずいぶん楽になった。引っ越してから今までで一番、いや、人生で一番の休みだったかもしれない。ありがたい。これ以上休むのは困るし、もっともっと仕事をしないとまずいんだけど、予定を詰め込んだ結果の過労は最も避けたい。
娘も5才になってようやく、定時に保育園に送迎するよりも、休んでくれた日の方が楽だと感じるようになってきた。ただ、ひとり親で子供が小さいと、年じゅう自宅軟禁状態ではある。飲み会に行くとかいうことも無いし、自由はない。
少しの余裕が出来ると急に、今まで鬱陶しい騒音だったテレビのたわいもない番組が少し面白かったり、よく晴れた外の景色が天国みたいに見えたりする。人生で初めて見る世界のようで何となく楽しい。
ということで、今日はようやく病院で検査。