絵日記が書けない子供の対処法
子供に絵日記を書かせるには。
一年生の息子が、運動会を終えて、絵日記を書いた。週末休みのうちに書かなきゃならない。たぶんクラスのお友達は授業内で書き終えたのだろう。
家で机に向かうと、案の定、日付だけ書いて、寝転ぶ息子。隣に座って、とりあえず可愛がってみるが、取りかかれそうにない。出来たら遊びに行くよ、と声をかけるたびに、うなるように文句を言う。そして、下の子の遊びを覗き込んで、「しゅくだいやんないと、あそびにいけないんだよ!」と下の子に怒られる。
何でもいいから適当に、と白紙を渡された時、さっと見当がつく子と、お手上げの子がいる。夏休みの絵日記の時は、最初にネット検索で、知らない子の絵日記をずらっと見せた。「絵日記」が分からないだろうと思ったからだ。
せっかく上手だから、いいの書こうよ、と声をかけて目を離した。ここで、適当でいいから、何でもいいから、なんて言おうものなら、息子のヤル気を挫いてしまう。
やりたいのだ。きちんと一生懸命に取り組みたいけど、イメージを実現できる自信がないというか、そこまでのイメージもない。創造力はあるが不器用だったり、絵日記というもの自体に求められている意図が不明確だったりして、思い通りに仕上がらないという憂鬱。指示が曖昧だと、どうにも取り掛かれない。
目を離して30分後、おもむろに起き上がり、題名を書いた。『ウェーブをがんばった』。息子にしては取り掛かりが早いことに驚く私。一年生全員で取り組んだ演目のことを書くらしい。
それから、丸っこい顔の目のくりっとした男子を描いて、私に見せに来た。
「ああ、似てる似てる。隣は○○さんだっけ、髪の長い三つ編みの。何人か書かないとウェーブにならないね。」
と私。うなる息子。言葉にならない文句を言う。
面倒じゃないよ。今あっという間に上手に書いたじゃない、と、私。一人、もう一人と、描く。3人になった。息子は、途中経過を隠す。一つ描き上がるたびにニンマリと見せてくれる。
ふと見ると、またまた、息子にしては早々に、一文目を書いていた。「みんなでちからをあわせてがんばった。」。いいね。それは嬉しかったね。
作文の基本は、
1. いつ、どこで、誰が、誰と、何をした。一文目で、出来事の名称等を書く。何をした、は必須。
2. それが、どうして、どうなった。いきさつを書く。
3. 何に対して、どう感じた。感情を書く。
の3つから成るのではないかと。
子供一人で完成させるのも偉いけれど、一年生のうちに、この基礎をしっかり押さえたい。出来事を手短にまとめて、自分の思いを付け加える。これは遠い将来、仕事にも十分応用できる。
運動会は楽しい。大半の子にとっては。息子は正直、運動会は好きじゃない。でも初めての小学校の運動会は、少し楽しめた。
みんなと一体感を感じられたことが、嬉しい。だから、学年150人で輪になって取り組んだウェーブが良かったんだろう。自分の感情に気付けたのは、大きな成長だ。
息子は、一文目の句読点を、丸から点に変えて、「みんなでちからをあわせてがんばった、うんどうかいのエビカニズーがたのしかった。」とした。一文で、出来事、いきさつ、感情を網羅してしまったが、作文が短い。
あと一文で、ウェーブがどんなだったのか、成功したのか、そんな結末を書いてみては、と提案した。息子は、「ウェーブのところがさいごまでがんばれた。」と書いた。私の言う通りにはしない。むしろいいね。よく表現できたと思う。
「がんばった」「がんばった」「がんばれた」と文章中に計3回も書いた。入学前までは、やる気がないように見られることが多かった息子。担任の先生は、入学当初から、よく頑張ってますよ、と評価して下さっている。だから頑張れる。普通にやっているように見せるために、人の3倍「がんばった」のだろう。
苦手な徒競走で、集団から遅れをとらず、最後に一人追い抜いた。多くの子は、1位でないと分かった瞬間に失速。息子は周りなどちっとも見ずに、最後まで走り抜いた。
でも、そんな競争の話よりも、みんなでちからをあわせたことが嬉しかったようだ。