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故人はいずれ人の記憶からも失われる

 

友人のお父様の葬儀で、千葉まで行ってきた。

平日だったし、そこそこの距離。以前の自分だったら、人に時間を使うことをしなかったかなと思う。

子供の頃から、人に関心を持ちなさいとか、人に対していいかげんだとか、言われて育ったのが、この歳になって少し分かってきた。

葬儀に参列して、しばらくは、親の死というものがまるでピンとこない自分が場違いに思えた。友人のお父様のことも特に知らず、考えたこともなかった。ただ、友人の横顔を素敵な人だなあと楽しく眺めていた。

一般参列者も花を供えた。故人の大切にされていたスーツが最初から供えられていた。私のことをご存知ないと思うので申し訳ない気もしたけれど、一番小さな花を選び、足もとに置かせていただいた。80年近く、頑張って生きてこられたんだなと思った。友人のお父様に、このような形で初めてお会いできた。それからずっと涙が止まらなかった。

昨年亡くなった義父のことを思い出したりしていた。今となっては元義父だけど、離婚を考えていることは最期まで黙って長男の嫁として精一杯見送った。亡くなる1か月前に、感謝とともに長い手紙を送った。喜んでいただいたと思う。

子供たちと、よく星を見上げて、じぃじかな、と言う。亡くなった時、娘はまだ3才だった。いつも何度でも思い出すように、思い出すと幸せになれるんだと、子供たちには話している。思い出す限り、そばにいるからと。故人はいずれ人の記憶からも失われる。3才の記憶。そんなことを思って涙した。