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続・私の大好きな世界

 

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6才になった息子が大好きなのは、仮面ライダー。
現在放送されているものも大好きで観ているし、
過去の作品まで遡って、動画検索して観て、
登場者の名前、武器や技の名前まで、覚えている。
「ウオーッ、ドドドドドドドドッ!」と
無理やり太い声を出して、戦いを真似て暴れ回っている。
妹と戦わないで、と、私はよく注意する。
私も好きで観ている。
シリーズ全体として、強さとは愛である、というコンセプト。

道端でお友達に出会うとすぐに嬉しくなり過ぎ、
戦いごっこが始まる。
奇声を発して走り回り、お友達にまとわりつくと、
相手によっては嫌がられるので、
興奮し過ぎだ、と私はよく注意する。

ある日、お友達の方が逆に大興奮してしまい、
お友達が息子に砂をかけた。園でのことだ。
仲の良い子だったが、さすがに息子は怒ったそうだ。
私がそのことを聞いた後、いつもは自分の方がそんな感じではないか、
と息子に話したところ、ようやく私の普段からの注意が飲み込めたようで、
あっ、と納得し、それ以来、自発的に気をつけるようになっている。
仲良くしたい子には、落ち着いて小さめの声で話しかけた方が印象が良い。

お友達に何かされても、少々のことでは怒らない息子だ。
公園で、お友達のパパさんから、すごく優しいね、
とびっくりされ、少し心配された。
そのとき、仲良しのお友達4人くらいが、剣の形をしたビニールのバルーンを持って、
息子一人を標的に追いかけ、バルーンで全力で頭を叩いていた。
息子は、全く仕返しせず、へらへらと笑って逃げ回っていた。
幼児の悪ノリなのだが、息子はそこに悪意がないことをよく理解している。
しばらく黙って見ていると、子供たちは誰かが順番に鬼になろう、という
ルールを設け、標的は順番制になったようだ。
息子以外の子が標的になったら、すぐに泣いてしまう子もいた。
そこで子供たちは、また考える。泣いてしまった子も、
泣いていては一緒に遊べないと気付く。成長だ。

以前にはこんなことがあった。
普段それほど一緒に遊んでいないお友達のグループと遊んでいて、
息子の興奮気味な態度が場を乱し、お友達の気に障ったらしく、
お友達は何度も息子に向かって馬鹿にした顔をし、嫌みを言うと、
周りの子も次々に真似をした。
しばらくして息子が最初に言ったお友達をいきなりコツンと殴った。
お友達は「あーっ、しゅんくんがなぐったよー!」と周りに向かって叫び、
息子を地面へ押し倒すと、そこへ5人ほどが輪になって同時に息子を蹴った。
息子が少し泣くと、みんな逃げて、そこからすぐに
息子を鬼にした追いかけっこが始まった。
しばらくすると、お友達の一人が私に助けを求めてきた。
「しゅんくんがねえ、なんにもしてないのにねえ、いきなりなぐったんだよ。」
その子は、みんなで仲良くできないことが嫌でたまらず、大人に助けを求めてきたのだ。
すると、次々と全員が私のところに集まってきた。みんな嫌だったのだ。
私は、人を馬鹿にする言葉は最大の暴力であること、
一人対全員で喧嘩をしてはいけないこと、をお友達に伝えた。
内心、子供たちがあまりに真剣で、戸惑った。
子供たちは、「みんなで仲良くしたい!」と口々に言い、
「みんなで、ごめんねしよう!」と勢いづいて、全員がお互いにごめんねをすると、
みんなすごく嬉しそうに、また遊びだした。
賢い子供たちだ。自分で考えようとし、情緒豊かだ。

場を乱している張本人は息子だが、興奮気味であることが問題かというと、
必ずしもそうではない。多くの幼児は興奮して遊ぶ。
元気に遊びたい子と、静かに遊びたい子、
いつも仲良くしている子と、そうでない子がいるということが
お互いに理解できていないだけだ。

息子は、お友達みんなのことが好きで、誰とでも仲良くしようとする。
お友達から何をされようとも、お友達のことは好き。ぶれない。
人からの影響で気持ちが流されたりしない。
たいていの優しい人、思いやりのある人というのは、
仲良しの人に対して手厚く、仲良しの人の考えに共感して気持ちが変わり、
それ以外の人には冷たいものだ。そうやって、大切な人に優しくできる。
それが大多数の人だ。
息子のような平和主義の人は、自分が少数派だということを、前向きに理解して、
人と人をつなぐ役割を果たし、控えめなリーダーシップを発揮すると、
人間関係がうまくいく。
息子がそんなことを考えるのは、何年先の話だろうか。

保育園のお友達がよく私に向かって、なんで、なんでと質問をしてくる。
息子がベビーカーに乗って登園したことがあったこと、
毎日私が教室の前まで見送って先生と密に話をすること、
息子が家で叱られたことがあるかどうか、
など、要するに、どうしてそんなに甘やかすんだ、という内容だ。
私は聞かれるたびに、息子が慢性的に体調が悪いこと、特に朝夕に具合が悪くなること、
体は悪いけども動くことが好きで頑張っているのだということ、
家ではよく叱るが、送り迎え時には具合が悪いので叱らないつもりだということ、を
簡単に何人かの子供たちに説明した。
しばらく説明し続けると、だれも聞かなくなった。

保育園の子供たちは、しつけが進んでいて立派だと思うけれど、
赤ちゃんの時からずっと、働くお母さんに甘えることが許されない。
少しでもお母さんの対応が手厚い子を見ると、もう泣きそうなんだろうな、と思う。
みんなよく頑張る、真面目な良い子たちだ。
それは、お母さんたちがみんな頑張っているからだ。
働いていて育児に手薄なのではなく、むしろ逆に教育熱心なのだ。

息子が、七夕の願い事を書いた。
今まで全く文字を書こうとしたことがないのに、
お友達が自分で書いているのを見て、負けずに自分で書いた。
ものすごく完璧に書いてやろうと意気込んで、
ひらがなの表で正しい形を確認しながら書いた。
初めてにしては、上出来だ。他の年長児よりもむしろ綺麗だ。
「たくしーのうんてんしゅになりたい。」
夢が、地味で現実的だ。しかも何度もタクシーで乗り物酔いした経験あり。
以前に聞いた時は、
「ケーキ屋さん。売るんじゃなくて、作る人。」
と言っていた。パティシエ、よく似合っている。

息子が、『フルーチェ』を作ってくれた。
キッチンカウンターに派手に牛乳をこぼしていて、
床じゃなくて良かったよ、と息子に笑いながら言った。
意識は細やかで、ブロックなどの手先の作業は上手なのに。

「ママはこれだね。」と、私がいつも選ぶ飲料を知っていて、
出先の自動販売機で探してくれる。
下の子が、もう歩けない、と地面に座り込むと、
「りんちゃん抱っこしてあげて。」と、さっと私の荷物を全部持ってくれる。
下の子がまた歩き出すと、私は荷物を返してもらうのだが、
また下の子の、抱っこー、が始まると、何度でも、何度でも、
さっと荷物を持ってくれる。
鞄が重い時でも、「しゅんくんは力持ちだから。」と笑顔で持ってくれる。
たまに息子の方が、あれが欲しい、これが欲しいと言って大泣きすることもあるが、
よく観察していると、実際に何か欲しいわけではなくて、
体調やストレスが原因でとても疲れていて、いたわりが欲しいのだ。

私があまりに体調が悪くて横になることが最近何度かあって、
その時に「しゅんくんがママをみてるからね。」と言っていた。
そして、私にとってストレスになるであろう日常のことを探し出して、
これが嫌だね、あれが嫌だよね、と感情を込めて言葉にしてくれる。
子供に気を遣わせていることが心苦しいが、それ以上に、
自然にお兄ちゃんらしくなったものだ、と頼もしく思う。

それは、私自身が気を遣っていることでもある。
息子は平和主義である一方で、感情のエネルギーは強いものを持っているので、
マイナスの感情をなるべく言葉にして声がけしてやることを心がけている。
「泣くな」「強い子になれ」という育て方は、特に息子には不向きだろうと思う。
ストレス耐性、ということがよく言われるが、キレない子に育てるには、
感情を溜め込まず、適切に表現し対処する習慣を身に付けることだ。
強くなれと言って、強くなる子はいない。
強さとは、愛。
愛情たっぷりの子に育てるには、と考えると、本当に難しい課題だが、
そのことに真剣でありたいと思う。