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3才の誕生日には

 

娘は保育園に行くと、自分のロッカーにケーキのマークが
貼ってあるのを見つけ、「りんちゃんおたんじょうびだよ。」
と目を丸くした。先生に何才になったかと聞かれると、
もじもじして、そっぽ向いたあげく、
「にさい」と答えた。まだ恥ずかしいようだ。

「はっぴばーすでーちゅーゆー」と無心に歌いながら、
道の草を摘んで、飛び跳ねて、大声で文句を言って、
座り込んで泣いて、また跳ねて、自由を謳歌して帰宅。

誕生日プレゼントは、サンリオのきのこのお家。
上の子が一緒になって人形を使って高い声でおしゃべりをし、
二人でお人形ごっこ。
生まれた時は、兄と妹が同じおもちゃで一緒に遊ぶとは
思っていなかった。

「このブロックで遊んでもいいのー?」と言う。
レゴブロックを、3才になるまで使わないように、
と私が言うのを、娘は律儀に守っていたのだ。
禁止した理由は、安全のためというより、
上の子の作品をすぐ破壊するからだ。

「トイレ行ってきまぁす。ぴょん、ぴょん、ぴょん。」
と、手で頭の上にウサギの耳を作って跳ねて行く。

「次はママのお誕生日?」
私が、そう、いっぱい寝たら早く来るよ、と言うと、
「お誕生日は、こやって来る?トコトコトコトコって来る?」
と二本指を歩かせた。

「ねえ、じゃんけんしよう。
 パパはチョキ出してー。りんちゃんはグー出すからねー。
 はい、じゃんけんぽん!やったぁー、勝った勝ったー。」

3才の「3」もすんなり器用に出来る。

娘は生まれたその日から微笑んでいた。
とても穏やかで優しい、恍惚とした顔をしていた。
泣く時は激しいので、情緒豊かだ。

生まれる前から、この子はきっと食いしん坊だと思っていた。
1才の誕生日頃からすでに肉のフライや生野菜サラダを
バリバリと食べていた。周りの子はまだ離乳食だ。
今も、給食は必ず完食する。
それほど胃が丈夫ではないらしく、家ではまだ食べムラがある。
食べムラというのは、子供が本能的に胃が疲れたと感じると、
食事にほとんど手をつけないことがあり、次の食事はよく食べ、
その次は少なめ、となる。

娘はアーティスト系だ。
ちなみに私と上の子は、クリエイター系だ。
この二つは、似ているようで相反する。
アーティストは感性で動く。
クリエイターは方法論で動く。

娘は心の中に、私には無いカオスを持っていて、
いつも心を燃やしている。
そのカオスが、部屋をぐちゃぐちゃにする。
でも片付けは、その気になれば上手だ。
影響を受けやすいからだ。
悪く言えば、流されやすい。良く言えば、共感力がある。
私と上の子の影響をしっかり受け、
論理的に考え、計算し、整理すること、
客観視し、分析することを学習してバランスをとっている。
カオスとは、混沌。
心の中のカオスは、歪むとヒステリーになるので、
常に共感し、真っ直ぐに感情を満たしてやりたいと思う。

上の子の場合は逆に、最初から自分を持っていて、
人の影響は受けない。その分、共感型ではなく、一匹狼。
違いを認めること、理屈で納得させることを重視している。

お絵描きは相変わらず赤のクレヨン。
形が描けるようになってきた。
「しまじろう」と言いながらトラのキャラクターを
描いたのだが、「顔」に対する関心が高いようで、
表情はよく描けているわりに、耳を描くには至っていない。

歌が特に大好きで、カラオケに合わせてマイクを持って、
滑舌良く正確な歌詞で『アナと雪の女王』の歌を次々と歌い上げる。

「ママかわいい。ねえ、かわいい顔して。」
と、毎日言う。
私の笑った顔が見たいということだ。
無理に笑っても、「ここちがう。」と言って眉間のしわを指し、
「ニコッ。」と私の両頬を指で持ち上げる。
娘があまりに真っ直ぐな目で見るので、
私も吸い込まれるように見てしまう。
そうすると、娘もオデコをぴったりくっつけて笑う。
小さな声で嬉しそうに「キャーッ。」と言う。
そして、「よしよし。」と私の頭をなでる。
私が幸せか、疲れていないか、笑えるか、
常に気にしていてくれる。

娘がお腹にいる間、私は少女の頃の夢をたくさん見た。
この子は私を本来の自分に戻してくれる人なのだ、と思った。
でも私は、どの自分が本来なのか分からなかった。
一人で目を閉じると、
自分が男なのか女なのか、年齢も、名前も、生きているかさえも、
分からなくなってしまうのだ。
私は少年かもしれないと、よく思う。
娘が生まれる前までは本当に、自分の好きな物も、
自分の選択も何もかも白紙のままで、たぶん人が私に言う
「透明感」という言葉も、そのことを表していたのだろう。
自分というものが、そこにいないのだ。
人に流されることも、染まることさえもない。

今、私が娘を育てているだけでなく、娘も私を育てている。
そのことが、有り難く、申し訳なく、どうすることも出来ず、
私もようやく3才。
そのままに受け止めるしかないとも思うし、
私は大きく変わらなければいけないとも思う。
娘だけでも幸せに、という母心は、愛ではない。
娘と一緒に幸せになっていきたい。