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続・子供にも美意識とプライド

 

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どうしても書き留めたいことを、書かずにいられない。
こうして書いていると、私はまるで良いお母さんのようだ。
そうではない。最低だと、自分で思う。
そう思うのは、今に始まったことではなく、幼い頃から、
ちょうど今の息子くらいの頃から、そう思い続けてきて、
自分が存在すること自体が恥ずかしくて仕方がなく、
ここから消えてしまいたいと、そんな思いが常にあり、
幼少時に出来た思考回路は、何十年の努力でもどうにも消せず、
底辺の人間として、生き続けているのだ。
自己肯定感、ということがよく言われるが、
その自己肯定感が最低なのだ。
そうしたら息子だって、自己肯定感が最高の人間にはなり得ない。
そのことをいつも申し訳なく思うと同時に、
未来を強く信じようと思っている。
これが私のエンディングノートだ。

助けてもらっているのは私の方だ。
息子は、私のことを助けようという意識が強く、
私のためになることを、自発的に喜んでする。
私は探し物が苦手で、特にスーパーの売り場の配列が、
毎日違うので、息子を連れて行って、
買いたいものを伝えてバスケットに取ってもらうと、
息子は、私が買いそうなものまで見つくろってくれる。
息子も嬉しそうだ。
一日に一度は、
「ママのこと大好き。」と言って笑う。
そう言うと私が元気になると思っている。

息子も私も少々変わっているが、それ以上に、
周りの人と自分との違いに敏感な性格なのだろう。
だから、どうやって周囲に自分を表現し、
受け入れてもらおうかと考えてしまう。
よその真面目なママさん達は、
我が子を偏見の無い、どんな人でも受け入れられる子に育てたいので、
障害者やいろんな人と我が子が接する機会を持ちたいと言う。
その意識は大切だと思うが。

偏見とは、自分のことを普通だと思うこと。

自分と隣りの人との違い。
それは、目に見えず、見かけによらず、
その程度も人それぞれで、
人と違うということは孤独だ。
でも、その孤独は人間に共通だ。

それにしても我が家は明るい。
毎日が良いことばかりではないけれど、
毎日子供たちが笑い転げている。