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我が子というもの

 

この人は誰なのか。
他者か自分か、といったら自分だと思う。
私自身も赤ちゃんも、自分。
私と別の誰か、ではない。

子供が生まれる前は、
子供というのは自分とは別の独立した人格を持っているのだから、
個を認め尊重して、自分の価値観で考えず、
理解するように努力して、対等に接していきたいと思っていた。

予想外だった。
自分の赤ちゃんというのは、自分そのものなのだ。
どうしたのかな、という瞬間はたくさんあるが、
観察していくと、今の私と同じ思考回路だということが分かってくる。
性格は同じではないにも関わらず、ものの考え方が同期していると思う。
生まれたての我が子は、今までの私の人生をまるで知っているかのように、
私が学習してきたことを踏まえていて、私の続きを生きていて、
遺伝というよりは、胎児の間に私の脳をコピーしたとしか思えないのだ。

それともう一つ、私自身も我が子の思考様式に影響を受けている。
第一子を生んだ時の私と、第二子を生んだ時の私は、かなり違うのだ。
だから、どんな子が生まれてくるかを完全に予想することができた。
第一子の妊娠時は、自分にはない凶暴さや豪快な明るさを感じ、
今思うと、息子を生む前の私の表情は、息子の顔つきそのものだったと思う。
第二子の時は、大きな変化はなかったが、今の自分とはまた違って、
まるで少女の頃の自分に戻ったように憂鬱だった。

私は一度、息子や娘そのものであったことがあるのだ。
十月十日とは言うが、実際の暦では8か月。
胎児という長い期間、胎児本人の感じる時間の長さを考えると、
もしかしたらその8か月は、80年の人生よりも長いかもしれない、
永遠に近いそんな時間を、私と我が子はお互いに混ざり合い同期して、
同一人物として生きたのだ。

胎児は、8か月間かけて母親の思考回路をコピーしている。
私も元は、私の母親と同じだったのだろう。
そうやって人間はものすごいスピードで進化している。


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