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仮に命を終えるとして

 

もし近々人生が終わるとしたら。
常にそう思いながら今すべきことを考えている。
人の心に残ることをすると思う、そしてそれは長生きしたとしても変わらない、
と5年前の日記に書いている。

年末に始まった不調はその後治まらず、
妊婦健診で見つかっていた腫瘍が気になって仕方がなく、
1月中旬に予約より早めに受診した。
大丈夫だとは思うが、痛み、貧血、慢性的な体調不良、体重の減少など、
万が一と思えば当てはまる症状が出揃っている。
本当に万が一であれば、腫瘍の場所からして、
余命が限りなくわずかであるということになる。

腫瘍マーカーを受けさせられた。
安心のためだったのだろうとは思うが、
そのことが逆に妄想をかき立て、10日後の結果まで
どうにも待っていられないような状態になった。

今、一生を終えることは、正直それほど惜しくない。
大して何も成し遂げられない、ちっぽけな人生だったが、
子供を二人も残すことができて最高に満足している。
ありがたい。
子供を生むことが全てではないが、
命をつなぐことは人間の最後の欲求。
育てられないことは残念極まりないが、
夫ならば、大雑把ながら温かく楽しくやっていってくれるだろう。
それで良い。

子供たちは悲しむだろうか。
いつまで悲しむだろうか。
そう考えた瞬間、強烈な憂鬱の中へ突き落とされた。

2才と0才、0才はすぐに忘れるだろう。どうしようもない。
2才、人は2才の記憶がどれほどあるものか。
何も無い、そう答える人も多いのではないだろうか。
人は2才の時に別れた母親のことはまず覚えていない。
存在すら知らないことが多いだろう。
私は記憶力の良い方で、1才半くらいから、しっかりした記憶があるが、
それでも、物や風景、出来事などを覚えている程度で、
人の顔までは覚えていないと思う。

一方で、2才といえば、ほとんど言葉は通じ、日常会話は普通に出来る。
私と目が合うたび、きらきらと笑う。
私が忙しそうにしていると、「ママ疲れた?」と聞き、ぎゅっと抱きしめてくれる。
何も言わなくても誰よりも私のすべてを知り、胎児のうちは
私と一心同体で過ごした、私の内側から何もかも見てきて、
今も0才の記憶を鮮明に話している。でも0才の記憶はいずれ、
ほぼすべて消えるだろう、そして私はいなかったことに、
その愛の全ても無かったことになり、
最初から母親不在の子供として育っていくのだ。

子供たちの心の中から私が消える。娘だけでなく、息子までも。
こんなにも親密で、大人とたいして変わりないコミュニケーションの
取れているこの人が、私のことを存在そのものから、忘却するのだ。
そう考えたとき、震えるほどに悲しくなった。

それから、私がいなくなれば、夫が独りで小さな子供二人を
育てながら仕事も家事もするというのは難しいだろうから、
第三者が入って子供たちの世話をするのだろう。
特に娘は何もかもこれからだ。
夫以外の誰か別の人の手で、別の価値観で私の子供たちが
育てられるのだということに、強い嫌悪感を感じた。

もっともっと生きたい、と強く思った。
また、そう思いながら死ねたら、幸せだとも思った。

翌々日、声も出なくなるほどの寒気がして、熱を出して動けなくなった。
乳腺炎になった。母乳の詰まりはなく、上手に飲ませていて
出も非常に良いと、病院で言われた。
乳腺炎は、詰まるとなるものだとばかり思っていた。
過労だろう。数日間、授乳以外は寝たきりだった。

その後あらためて病院へ行き、検査結果は良好だった。
若者特有の症状だということで、むしろ少し嬉しい感じだ。
いつかその日は来るのだろうが、不本意なことにならないように、
仕事もほどほどに、自分を労らなければと思った。
今、どうしてもやりたいことがたくさんある。