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出産の一部始終 陣痛編

 

なるべく覚えていたいと思った。
最初の出産のとき陣痛がどんなだったか、よく覚えていないのだ。
分かるのは、これは人間が体験することのできる痛みの極限だということ。
出産でなければ、意識を保つことが不可能な痛みだ。
だからこれ以上はない。
でも、初回同様、ただ楽しみで、何も恐くはなかった。

8時頃、ごく微量の破水。最もラッキーな状態だ。
陣痛が来てから病院へ向かうのはしんどいが、
この程度なら余裕をもって入院でき、一旦家に帰されることもない。
陣痛が来る前にしばらく横になって日頃の疲れを取ることができるし、
翌日までには確実に生まなければならない。終わりが見えていて、気楽だ。
前回の出産もわずかな破水からだった。

朝から何となくかすかに今日あたり入院かなという気がしながらも、
まだかなと思い、息子を保育園に送り、帰ってきて、
いちおう入院用のカバンに最後の荷物を全部詰めて玄関に置いてみて、
まだかなと思い、洗濯をしたり、何となく身辺整理をしたが、
これはいちおう病院へ連絡した方が良いかなと思い、
でも迷う程度で、慌てる状況ではないと思ったので、
その前に早めの昼食を済ませて、それから病院へとタクシーで向かった。

乗車した段階では、もうこのまま家には帰れないという予感がしていた。
窓から見える風景にさよならをした。よく晴れていて、
こんなに美しい町に住んでいたんだなと、あらためて思った。
風が少し冷たく、光があふれていた。

見覚えのある陣痛室は、前に見たうめき声の響くうす暗いイメージと違って、
ずっと明るかった。いつ陣痛が来るか、楽しみだった。
こんなに陣痛を楽しみにしている私は、おかしいだろうか。

経産婦さんは進行が早いので気をつけてください、とそんな話をされ、
一緒に来てくれた夫と相談して、夫にはすぐに帰宅してもらった。
息子がまだ保育園なのだ。急に生まれて、お迎えのタイミングを逃すと困る。
病院と保育園を電車で往復するには2時間近くかかるが、片道なら半分だ。
あらかじめ帰っていてもらった方が安心だ。

14時から突然、陣痛が7分間隔で来た。
いちおうナースコールで、来ていることを伝えた。
おなかにモニターを付け、助産師の方と話しているうちに、
陣痛の周期が乱れ、弱まった。まだ前駆だろうと言われた。
でも、一人になると7分間隔の周期が戻ってくる。
早ければ今日の夕方の出産だろう、そう思った。
夫に、今すぐ息子を保育園から引き取って
一緒に病院へ来てもらうように連絡した。

陣痛室をちらっと覗いて私の顔を見た息子は、
意外に平然とした顔で「ママがんばって」と言った。
自分が生まれた病院が好きらしく、何だか楽しそうに、
パパと院内の散策に出かけていった。また一人になった。

その後、7分間隔はそれほど変わらず、でも少しずつ痛みは強くなって、
夕飯を食べようとすると、5分間隔になり、少々休んで深呼吸をしながら食べ、
助産師の方に、進んでいることを告げ、またモニターを付けたが、
気が紛れて陣痛は弱まり、助産師の方は立ち去り、
消灯となり、ひっそりとした長い夜が始まった。

夜にはもう生まれているかと思っていたので、
予想外の長さに、少々うんざりしてきた。
本当は陣痛室に子供は入れないことになっているのだが、息子は普段どおり
21時にベビーカーで寝てしまい、私の隣に来た。
息子の顔を見ると、とても安らぐ。
途中で、助産師の方も子供の対応を迷ったようだが、寝ているとはいえ、
いちおう待合室で待っていてもらうことになった。また一人になった。

一人でじっと暗い壁を見ていると、もう本当にうんざりしてきた。
不快というよりは、誰も見に来ないことに苛立ちの混ざった寂しさを感じた。
部屋は十分に快適だった。
向こうの初産らしき方のところにはよく見回りが来る。

陣痛は徐々に強くなり、来たと思うたびに、速い深呼吸を繰り返した。
妊婦がよく、おなかが張る、と言うが、
陣痛とは、その状態が痛みをともなって強くなる状態で、
張るというのは、子宮全体の筋肉がぎゅっと収縮して、
空気のしっかり入ったボールのようにカチカチに固くなる状態。
締め付けるようなというよりは、そのボールの中心あたりに
鉛の玉が入っているように、重苦しい痛みがある。
30秒くらい収縮して痛みが強くなり、合間はほとんど何ともない。

ついに日付を越えた。入院翌日生まれとなることが確定した。
破水しているので、翌々日生まれ、ということはない。
そういう意味で、気楽だった。
このまま長引けば、陣痛促進剤を使うことになる。
延々とあまり変わらず5分おきくらいで、何度も速い深呼吸をした。
このままどんどん痛くなればいい、もっともっと、と思った。
長い時間を過ごした。
自分と向き合う貴重な時間なのだ、そういうふうにも思った。

午前4時頃になって、我慢できるぎりぎりくらいの痛みになってきて、
前駆などではなく、進行していると思った。
ナースコールをしようかと思ううちに、助産師の方が来てくれた。
モニターを付けると、また同じように陣痛が弱まり乱れるのだが、
その後の診察で、助産師の方びっくりしたような顔をして、
何か深刻なことでも告げるような口調で言った。
ずいぶん進んでいて、もう子宮口がほとんど開いているとのこと。
これは陣痛開始ということでいいと思います、と言われた。
出産は午前中以内で、促進剤も必要ないでしょう、とのこと。
やっと。良かった。赤ちゃんに会える。
カーテンの向こうはもう明るかった。

つづく


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