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人を理解すること、味方でいること

 

息子の保育園の先生から言われた。
ちゃんとトイレが言えていますよ、と。
前を押さえて「ちー」と言うらしい。

息子が素直にそんなことを言うはずがない。
家では普通に「トイレいく」と言う。
赤ちゃん言葉を使うようなことはない。

息子は4月生まれ。クラスにはまだ1才の子がたくさんいる。
先生もそれに合わせて、「チーは?」とか幼稚な尋ね方をするのだろう。
息子にとっては、その先生の言う「チー」が滑稽で、
ツボにはまったのだろう。何だか面白くてたまらないので、
先生をからかうように「ちー」と言って前を押さえてみる。
そうすると、先生は真面目な顔で、「よく言えたわねえ」と
褒めながら、慌ててトイレに連れて行ってくれる。
だいたい息子の考えそうなことは想像がつく。

最近、先生からよく言われるのが、
赤ちゃんにやきもちを妬くでしょう、
上の子最優先で、たくさん抱きしめてあげて、ということ。
何だかそういった定番のことを言われるのが、
私はだんだんと疲れてきた。
息子は型通りの子供ではない。

たしかに赤ちゃん返りはあるが、
そんなにやきもちは妬いていないし、私にベタベタ甘えたいとも
優しい声をかけてもらいたいとも思っていないようだ。
ただ、赤ちゃんが生まれたことによって
私の気持ちが変わっていないか、
自分が愛されているか、
それを確認したいだけなのだ。
息子は私を質問攻めにして、私が面倒がらずに全部答えたら、
それで満足なのだ。

本当の「やきもち」というのは、自分も同じようにしてほしい、
という感情ではなく、相手にそれをしないでほしいという感情のこと。

生まれてみて、二人の子供のどちらの方が大切という感情はなかった。
息子に対する愛情も何も減っていない。
でも、息子の前でそれをどう表現して良いものか、迷いはある。
家族が増えたことに不慣れなのは私だって同じだ。

私は息子の目の前で赤ちゃんを可愛がり、
下の子も同じように愛していることを隠さない。
息子は、ごまかしや嘘が嫌いで、
きちんと本心で向き合いたい、そういう人だと思うからだ。

遠方から二泊で夫の両親が孫の顔を見に来てくれた。
義父母が息子にいろいろなことを質問する。
突然、歳はいくつだとか、赤ちゃんの名前は何だとか尋ねて、
言えるかどうかを楽しんでいるのだが、
息子はその質問に答えることができない。
当然知っていることをなぜ唐突に聞いてくるのか、
言葉通りに、2さい、とか答えて良いものか、考え過ぎてしまうのだ。

私にはそんな息子の思いがよく伝わってくる。
こんなにも考えが読める人は息子以外にはいない。
人はあまりに自分とは違うことを考えていて、違う意見を持っていて、
でも他人同士はみんな同時に泣いたり笑ったり共感し合っていて、
自分だけが違う世界にいる。
そんな中、私は初めて息子のような人に出会った。

私は良い母親ではない。
私に影響を受ければ、よりいっそう人の共通認識から外れ、
人と感じ合うことができなくなっていってしまうのだろうし、
私と同じ遺伝子を与えてしまったことを心苦しく思う。
でもいちばん大切なのは、
上手に育てることではなく、人並みに育てることでもなく、
その子のいちばんの理解者であろうと努力することだ。
私は息子に生きづらがあれば、いつでも共有できると思う。