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出産と育児を振り返って

 

出産前は、子供のことをインターネットに載せるのを恥ずかしく思っていた。
写真も載せるまいと思っていた。でも生んでみて、考えが変わった。
出産前の自分は、人間というものにも、世の中の成り立ちにも、
何と無関心であったことか。育児というものを、何か面倒で恥ずかしい
ことのように思っていた、その今までの自分が恥ずかしくなった。

そして、子供たちの生きづらさを黙って見ていられなくなった。
その始まりはこうだった。

「赤ちゃんはだんだん可愛くなりますよ。」

病院で、最初にそう言われた。
最初の1か月くらいは、可愛くないらしい。
たしかに周囲の母親たちを見ると、最初は可愛さよりも
大変さの方が勝っていた、という人の方が多い。
我が子がこんなに可愛いなんて、と誰もが言いながらも、
何が可愛いか聞くと、ほとんどの人が笑顔と答える。
赤ちゃんは最初の1か月は、笑顔はない。

赤ちゃんが可愛く思えないのは当たり前という常識。
私は、これは世の中のせいであって、変える方法があると思う。
不幸な事件も、減らす方法がある。

昔は、新生児の世話や産後の家事というのは、母親ではなく
おばあちゃんが中心になってチームワークで行う仕事だったのだろう。
母親は、産後1か月間は授乳以外なるべく安静に過ごして、体を癒す。
その後は徐々に育児に慣れて、少しずつ自分でも出来るようになっていく。
近所の人もみんな声をかけてくれる。
ところが、現代の事情により、多くの人がそれを最初から母親独りで
自己流で行わなければならない。家には母子以外、誰もいない。
隣の人の顔もよく分からない。誰からも気づかれない。

産後1か月間なんて、母親はまだまともに歩くこともできない。
その体調不良と不慣れと過酷さを乗り越えて、
泣いているだけで笑いもしない我が子を
最初から可愛いと思う余裕を作るに至るには、
昔と違って、事前の準備が相当に必要だと思う。

私は、出産直後から、すごく可愛いと思えた。
産後1か月間は睡眠をほとんど取らなかったというか、
横になることもほとんどなく、時々意識を失いかける、
そんな生活だったが、赤ちゃんは常に可愛く、
子供に対してイライラするということはなかった。

でも、親の支援はなく、仕事も家事もしながら、
産後の何もかもをほとんど独りでやったので、
子供を殺してしまう人の心理は、それはそれで痛いほどよく分かった。
普通であればひどく心を病んでしまう状況だったと思う。
でも私にとって、息子との出会いは、それを上回る幸運だった。

里帰りや親の手伝いがある家庭でも、すでに私たちの親世代では、
上手におばあちゃんの役割を果たせる人は少なくなってきている。
特に都会では、母親が自分で何もかもを抱え込んでいて、
自分の力量以上のことをしようと必死になっている。
抱え込むのは、性格のせいではなく、境遇がもたらすもの。
こんな病的な状況が育て上げる未来は、いかがなものか。
子供たちにとって生きづらい世の中となり、負の連鎖は続くことだろう。
子供たちの人生のスタートは、もっと輝かしいものでありたい。

生んだ最初から、赤ちゃんが可愛いと思える余裕を作ること。
それにはまず、今までにない内容の母親学級を開き、子供の成長を学び、
赤ちゃんの泣くことの意味や、夫や義母、実母との付き合い方を学び、
自己分析もして、産後の日々の生活を具体的に自分で書き出してみて
イメージトレーニングしておくことだ。
もちろんそれだけで何かが大きく変わるわけではないが、
そうやって世の中が正しく育児というものに目を向けることで、
状況は一歩一歩、良くなっていくと思う。

育児とは、自分の精神と深く向き合うことなのだ。

産後の育児相談を自治体が積極的に開催する、というのでは
対処としては遅すぎる。大事なのは出産前であって、
困らせておいて相談に応じるというのは不親切だ。
子供にとって、親が育児のせいで悩んでいるというのは悲しい。
子供たちが伸び伸びと生きられる世の中を作っていきたいものだ。