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もう一度出産を

 

もう一度出産がしたい。
息子を生んだ時に強くそう思った。

息子を生む以前にはそれほど、子供が欲しい、という考えはなかった。
でも今回は、自分の子供という存在がどんなものか、よく分かっている。
この最愛の人のために、自分は生きなければならないという、
何があっても死ねないという、自分の命が強く守られているような、
そんな幸せを日々感じることができる。

幸せな子が生まれてくる。

上の子最優先で、なんていう育て方は特に考えていない。
母親にとって、赤ちゃんは真っ先に保護すべき存在であり、
そのことを息子に隠すつもりもないし、隠し通せるものでもない。
息子への揺るぎない思いは変わることがないし、
そのことを息子も十分に見通しているはずだ。

下の子は息子となるべく同じだけ手をかけて育てたい。
その分、息子には手をかけられない。
ただ、自分がどんなに可愛がられて生まれてきたか、
そのことを思い出してほしい。
だから、下の子を同じように可愛がっている姿をたくさん見せて、
息子が生まれた時のことをたくさん伝えたいのだ。

今、私は、おなかの赤ちゃんを毎日とても可愛がりながら、
息子がおなかに入っていた時のことを話している。
こうやってとても可愛がっていたと。
おなかの中が楽しかったかと息子に聞くと、
「うん」と大きくうなずいた。

息子はそれ以上のことはまだ話せないけれど、
毎日のおなかの様子を観察しては、
「あかちゃんでてくる」と言っておなかをなでる。
おぼろげに自分が生まれた覚えがあり、
赤ちゃんが生まれようとしていることが分かるのだろう。

まだ2才なので、赤ちゃん返りのような退行はあるものの、
今はそれ以上に赤ちゃんの誕生をドキドキして待っているようだ。
やきもちは、今のところはないようだ。
それよりも、自分がお兄ちゃんになるということに、
少しプレッシャーを感じて、今まで出来たことが出来なくなったり、
幼稚なイタズラを細々としてみたりしている。
まとわりついてくるような甘え方はしない。

それが、夫が夜出かけて家にいなかったりすると、
いつもなら、「パパは?」と言ってひどく不機嫌になるのだが、
最近はむしろ楽しそうで、私と二人の貴重な時間を大切にしたいようだ。
自発的にトイレに行き、夕食を途中遊ばずに残さず食べて、
お風呂では自分でさっさと服を脱いで洗濯機に突っ込んでいる。
私とたくさん話して遊んだ後、自分で部屋の電気を消し、
勝手におもちゃを片付けて、寝る時は21時ぴったりに横になって目を閉じ、
珍しく私の隣で寄り添って眠るのだ。とても満足げな顔で。

こんな二人だけの時間も、今だけのこと。
思い出せなくなってしまうのだろうか。
忘れたくない。

私自身は、一人目の出産同様、出産に対する不安などは何もない。
夫がすでに赤ちゃんというものを分かっているので、その分楽だろうなと思う。
ただ、赤ちゃん自身のイメージはそれほどピンとこない。
人というのは、顔を合わせてみないと分からないものだ。
どんな顔をしているのか、よく泣くのか、楽しみだ。