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言葉のイデア

 

人はなぜ牛を見て牛だと思うのか。

私が折り紙で作ったピンクの牛を息子に見せたら、
「モーモー」だと言う。
白黒でもなく、顔しかない、実際の牛とはかけ離れたものだが、
これがなぜ牛だと思えるのか、不思議でたまらない。

近所にいる小さな鳥を指して、「トリ」と言う。
絵本の中の、マルが二つにくちばしが付いたようなものも、
「トリ」だと言う。
この全然違うように見えるものの共通点というか雛形を
理解しているということで、
鳥のイデアが息子の頭の中に出来上がっているということだ。

カラスが柿をくわえている絵を見て、
「トリ、ミカン」と言ったのは、ちょっと惜しい。

動物と乗り物に興味がある。
教えなくても男の子だなあと思う。
男は生まれながらにして、獲物の群れを追いかけるように出来ているのだ。
現代社会の中で、獲物の群れに一番近いのは、車や電車だ。

絵本や動画をひとつひとつ指差して、
バス、とか、ピーポー(パトカー)、とか、ウー(消防車)、
キュウキュウシャ、デンシャ、ポッポ(蒸気機関車)、
カシャカシャ(新幹線)とか、そういうふうに言うように
教えたわけではなくても、自分でどんどん名前を付けて言う。

プラレールに付いてきた小さな遮断機のようなものを見て、
「カンカンカン」と言う。
どこが遮断機なのかと思うようなものだが、意外に理解している。
駐車場の入り口でも「カンカンカン」と言う。
なるほどと思う。

まだ二語文はごくたまにしか出ない。
「ここ、ママいた」と写真を指差したり、
「うーたんの、うーたん見る」とテレビを指したりする程度だ。

でも、おいくつかしら、と知らない人に聞かれて、
ちゃんと指を一本出していた。
今までいつも、何才?という聞き方しかしたことがなかったから、
おいくつ、という言葉を知っていると思わなかった。
ちゃんと文脈を話の流れで理解できているようで、
年齢の話をしているなと思うと、指を一本出すのだ。

まだまだ言い間違いも多い。
トマトのことを必ず「ポトト」と言う。
好きなので、食卓に見つけると、
「ポトトね、ポトト、ここ」と自分の皿を指して欲しがる。

「はとぽっぽ」をよく歌うのだが、毎回大きな声で、
「ポッポッポー、アィヤポッポー」と歌う。
「きらきらぼし」は、キラキラしたものを見た時に、
「キヤキヤイダチュー」と両手をキラキラさせながら歌う。
上手ね、と褒める。
歌詞を全く理解していない。

2才になったら、もっとたくさん話せるようになって、
もっと楽しくなるのだろうか。
今のままでも十分明るくて楽しい。