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学校が怖い

 

最近ひそかに話題を呼ぶこのニュース。

『貧乏な家庭は子供作っちゃだめですか?』

「そんな年収で子どもを作るなんて非常識、子どもがかわいそう」
「今は時代が違う。...貧乏な家庭に生まれた子どもにはいい迷惑」
「ホントに昔と今では違うのです。与えなくては話題についていけない」
「お金がないのに子どもが欲しいという願望は、私たちのエゴなんでしょうか」
「夫が年収300万なら子供は無理です」
「現在は親の収入で、子供の学力が違うと言われているのを知っていますか?」

一言でまとめると、貧乏な人は生まれない方が幸せ、ということだ。

人の命は作るものではなく、授かるものだ。
仲の良い夫婦に自然に出来るものだ。
たしかに計画性も大事で、子供にはお金がかかるけれど、
貧乏でも幸せになれるし、だいたい何とかなる。
子供のためなら何でもする。

貧乏な人は可哀想なのか。生まれなければ良かったのか。
世の中に生まれなければ良かった人間なんて存在しない。
みんな大切な命だ。

貧乏な家庭の子供は不出来だと言うのか。
親の収入で子供の学力が違うと言うけれど、
優秀な家庭は親が高収入な傾向がある。
裕福だから優秀になったというよりは、その逆。

私は、塾どころか、習い事を一つもしたことがない。
家で勉強をしたこともなく、宿題もよくさぼった。
それでも勉強は得意だった。
塾に行っていたらもっと勉強が出来るようになったとは思わない。
学校で先生の話を全部聞いていたら出来る。
これは昔だけの話ではないと思う。
それとも、学校はそんなにダメになったのか。

私の子供の頃は、お小遣いなんてもらったこともなく、
テレビを見たこともなく、おもちゃもマンガも何もなく、
たしかに学校で話題についていけないこともあったけれど、
そういう私は生まれない方が幸せだったとは思わない。
周りの子はみんなシールや折り紙、おやつなどを分けてくれたし、
いつも誰かがゲームウォッチを貸してくれた。
持っていない子にもみんなで分け与える習慣だったから、
そういうところで困ったことはないし、いじめられることもなかった。

貧乏でも裕福でも、みんなで分け与える、
そういう気持ちが子供たちに失われているのだろうか。
昔と今で違うのは、世の中の考え方が不健全であるということ。
何だか学校が怖い。