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女性の輪に入ることの難しさ

 

先日、友人が開催しているワークショップに参加してきた。
そこには、育児中の女性が多かった。
終わって、みんな大いに満足した様子で、良かったと思う。

でも個人的には、わびしかった。
また自分だけが人と共感し合えないのだということを、
見せつけられた気がした。

自分の人生のアップダウンをグラフに書いてみようという。
私のは、まず0才のところで、一番下の0から始まっている。
みんなのグラフは、0才で一番上の100からスタートしている。
私にとって子供の頃とは、何一つ思いどおりにならないもの。
大人になってからは、自分のやりたいことが自分の力で
ひとつひとつ形になって、人からも認められて、良かったと思う。
そして育児のところで、グラフは最高に達する。

何よりも人と自分が違うなと感じたのは、
みんな同じで安心しました、と言ってみんなでうなずく人々。
私は、ひとりひとりの違いに気づいたり、特別なところを発見したり、
そういうことで得るものを得たという満足を感じる。
私が話した後、みんなそうだよね、と言われるのがつらいことがある。
自分が埋もれてしまう。自分にしか無い思いは、無かったことになる。

そして私の良くないところで、
みんなが同じに見えたり、つまらなく見えたりすることがある。
ひとりひとりを理解すればその違いに気づくのだろうが、
輪になって一斉に、うんうん、とうなずかれると、
輪から外れるしかない。
それを、コミュニケーション力が低いと言うのだろう。

ほとんどの人が、人と自分の共通点を探しているように見える。
そして話を聞いてもらうだけで何かが解決したように感じる、多数派の人々。

でも、みんな同じ、って言う人を否定するわけではない。
仲間に入れてくれようとしている優しさであり、
人と共に生きるための能力だ。私には無い。

そんなことを考える良いきっかけになった。

こう書いていると、人はよくこう言う。
「そういうことを考えている人は、けっこうたくさんいると思うよ。」
その一般化が私を憂鬱にさせる。

人の数だけ思いがある。