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大好きな人

 

この子が生まれて初めて認識した人物は父親だった。
母親の存在には気づかない。
新生児にとって、母の存在は、自分の一部なのだ。
そこに人がいるとも思わず、母の感情を自分の感情とし、
母の血流を感じ、二人で一体と思い、すべてを共有する。

大きな声で、とんでもなく大袈裟な産声だった。
思ったとおりだ。おなかの中で動いていた、そのままだった。
足の蹴り方も見覚えがあるし、よくしゃっくりもする。
人一倍泣いて、凶暴で、体が頑丈で健康で。
生まれたとき、最初に足を確認した。これか。
おなかから、いつも何か尖ったものが突き出していたが、
足のかかとが、とても小さく細い。
おなかから出てきて、片目を開けて、眩しそうにしていた。
この子にとって、この世が眩しいものであればと思った。

「どうして泣いてるのか分からない」なんていうことは無かった。
意思表示のはっきりした子で、しっかりした身振りで泣く。
それに、生まれたては、そんなにいろんなことを言わない。
よく泣くけど、不安で泣く、ということの一切ない子だ。
偉そうな顔をして、口をへの字にして寝ていた。
そして、初めてのミルクを飲んで、にっこりした。
とても明るい子だと思った。黄色が似合うと思った。

すぐに大好きになった。
好きで好きで、抱きしめたら離せないほど、
大好きだと言おうと思っても涙で喉がつまって言えないほど、
愛の形だった。
赤ちゃんはだんだん可愛くなりますよ、とよく言われるけれど、
今が最高だと、いつでも思う。
いくらでも世話をするから、ずっと新生児のままでいい、と思った。
正直、生まれる前は、しょせん二番手だと思っていた。
でも、そんなことはなかった。

ポジティブなエネルギーに溢れていた。
不安や悩み、といった感情の少ない性格なんだと思う。
私も少ないけれど、私の場合、憂鬱ならある。
憂鬱と悩みは違う。
悩み、というのは、解決しようと思うから悩むのであって、
そこに少しでも希望がある場合を言う。
憂鬱とは絶望だ。

育児書なんて必要ないと思った。
向こうの親戚から頂いたので、ひととおりは読んでおかなければと思っていたが、
意外に上手いのが、夫の育児。
余計な知識のないところが良い。
赤ちゃんでも、ちゃんとしっかりした意思表示があって、
コミュニケーションはとれるから、耳を傾け、本人の言うとおりにすれば、
上手に抱っこできて、上手にミルクを飲ませられて、
上手にゲップを出させることができる。
私は、病院で習ったことをいったん忘れて、
夫の育児をよく観察して真似ることにした。

私が抱っこして泣き止むということは無い。
余計におなかが空くらしい。
おなかの中にいる感じ、を好む傾向もない。
でも私の前でよく泣くのは、私が見ているからなんだと思う。
この子が私の前ですべてをさらけ出しているのは、
今までおなかの中から、私のすべてを見てきたからなのだろう。

ちゃんと通じ合える。
誰よりも通じ合える。
だから、赤ちゃん扱いをする気にならない。

最初はいつも私のおでこの生え際のあたりを見ていた。
髪と肌の色の対比に目が行くのだろう。
1か月経って、私の目をじーっと見つめるようになった。

生後44日目、夫の友人が家に泊まりに来た時のこと。
とてもよく、赤ちゃんとでも会話をしてくれる方だった。
そして驚くほどこの子の言いたいことを言い当ててくれていた。
帰られた後、初めて泣き声でない、声を発した。私に向かって。
それは本当に言葉のようで、あふれる笑顔で目を輝かせて。
人と、言葉で通じ合えるのだ、という歓びの言葉だった。
そして私のことを初めて他者として認識した瞬間であったように見えた。

ふたりでひとりだった。