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出産とは

 

この子が胎児として過ごした8か月3週間と、
私の生まれてから今までと、
どっちが長いのだろう。
私が8か月3週間をあっという間に過ごす間に、
きっと永遠に近く長い時間を過ごしたに違いない。
もしかしたら、人間の人生の半分は胎児なのかもしれない。

妊娠生活は順調で、よく勉強して準備も完璧だった。
出産も順調で、ほぼ予定日にしっかり大きな健康な男の子が誕生した。
出産を迎えるにあたって不安は何もなかった。
希望しかなかった。

妊娠期間は、平均266日。
8か月と3週間程度、ということになる。
妊娠が病院で確認できる時点からは長くて8か月。
十月十日、ではない。

不思議なことに、陣痛がどんなだったか、
あっという間に忘れてしまって、
実感としてまるで思い出せないのだ。
それだけでなく、出産前の自分、それがとても遠く思い出せない。

焼け死ぬことは最も苦しい死に方の一つだと聞いたことがある。
もがいてもがいて、手の爪ははがれてしまう。叫んで叫んで、喉は切れてしまう。
たぶん陣痛はちょうどそんなイメージだったと思う。
どんな痛みも心の痛みほどではない、そんな思いも覆された。
これは命がけなのだ。

破水から21時間後に出産。陣痛からは9時間後。
陣痛も最初はゆるやかだが、その、死をさまようような苦痛というのが、
とんでもなく長かったと思う。
30分でも、もうこれは無理だと思ったが、それが何時間も続いた。
長いので、助産師さんは何度もシフトが入れ替わり、
たくさんの方に交替で見ていただいた。
どなたもとても優しく完璧な対応で、私を救ってくれた。
夜勤だというのに、疲れた顔ひとつ見せなかった。感心した。
夫もいつもそばにいた。
いきみに入ってからは比較的楽だった。
生まれる30分前くらいだったと思う、
頭が見える、髪の毛の多い子だと言われたことが
いちばん楽になった言葉だった。

午前3時38分、生まれた。
生まれたのかなんだか、朦朧として訳が分からなかった。
感動なんていうものではない。
ただ気がついたら、
胸の上に見たことのない小さなくしゃっとした子がいて、
あまりに不思議でしかたがなくて、驚いて夫に、
これ、うちの子?
って聞いた。
とんでもなく疲れながらも、なんだか笑えてきた。
安産だった。

そのまま2時間ほど休んで、その間にカーテンの向こうでもう一人生まれ、
その後もとの陣痛室へ返された。
隣では二人の方がこれから出産を迎えていた。
こんな所で休めるものか。
さきほどまでの苦しみ、地獄のうめき声と悲鳴、
焼け死ぬような苦痛が蘇ってきて、とても耐えられず、
ナースコールで病室を変えてもらった。
そちらは出産直後の方が多くいて、すすり泣く声が聞こえていた。

半日ほど休んだら、授乳に行く。
それから、3時間サイクルで授乳に行く。昼も、夜も。
思いのほか楽しかった。
最初は、立ち上がると目眩がして数メートルも歩けず、へたり込む感じだったが、
赤ちゃんに会いたくて、伝い歩きで歩いて行った。
ほとんど休まず行った。
他の方も、ふらつきながらも、キラキラした目で歩いていた。
みんなが30分くらいで帰っていくところを、私は1時間くらいだっこしていた。
その合間に、自分の食事、シャワー、提出書類、飲み物の購入、など
あるものだから、横になる時間はほとんどなかった。
特によく泣きよく飲む子で、途中、早くから、自律授乳、と言われて、
時間に関係なく、泣いたら呼んでもらって、授乳してだっこして遊んでいた。
感染症の予防治療があったため、母子同室にはならなかった。
夜中に、泣いている気がして、呼ばれないのに行ってみたら、
防犯でガラス扉が閉まっていて、ガラスの向こうで泣いていて、
スタッフが誰もいなくて、会いたくて私も泣いてしまった。

昼間、1Fへ降りてみる。
入院期間はちょうど休日が多く、
病棟から歩いてきて内側から見るエントランスは異様だった。
通い続けた、見慣れた光景。
なのに、照明は消えていて、
自動ドアの外がものすごく晴れていて、
眩しくて、
今まであの光の中にいたのかと思うととても遠くて、
もう戻れなくて、
何かが始まる気がして、
何だかクラクラした。

6日間で退院。
自動ドアを抜けて、光の中へ。
よく晴れた日、タクシーに乗って、家へ行った。
今日からここがあなたのおうちですよ。
ここから、この小さな人の一生がスタートする。
痛みの感覚そのものは、もう思い出せなくなっていた。

今まで自分のために生きてきた私は、
あの陣痛がなかったら、母親になれなかったかな、とさえ思う。
この子のためなら喜んで命を投げ出せると思えること、
絶対に一生かけて守ってやると、そう思うだけで涙が止まらないこと、
ニュースで子供が犠牲になったと聞くたびに強いショックを受けること、
陣痛のおかげだと、そう思いたい。
そして願わくは、あの素晴らしい痛みに、もう一度出会いたい。