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さようなら、我が子

 

先月のことだ。週末、用事があって遠方の夫の実家に来ていた。
帰りがけに、体調が若干思わしくないので一応近くの病院に寄ってみた。
絶対安静。そのまま入院することになった。
東京に帰る予定だったので、ここに取り残されるかと思うと涙が出た。
子供の頃から、乗り物酔い等でみんなと一緒に外出することができなくて
知らない旅先で誰もいない宿に残された経験が多い。
こういうとき、いつも独りで朝から晩まで、みんなが宿に帰ってくるまで
失神するほどにのたうち回ったものだ。

夫も一緒に病院で一泊してくれることになった。
翌日仕事があるだろうから明日は一人で帰っていいと告げた。
独りで頑張ろうと思った。

素敵な病院だった。
内装が綺麗で、ホテルのような部屋、優しいピンクのカーテン、
患者にとって癒される空間だ。
代わる代わる見に来てくださる看護士の方が、
どなたも親身になっていろんなことを話してくださった。
そして先生は、診察結果を非常に細かく、丁寧に説明してくださった。
こちらへ来る直前に東京の病院を受診したのが
大雑把かつ誤診だったということも分かった。

その日の深夜、流産。
死んだ。
原因は、無理をしたとか私の不注意とかによるものではなく、
主な原因としては染色体異常であることが考えられ、
2週間前にはすでに胎児の発育が止まっていたとのこと。

翌朝、全身麻酔で子宮内を元の状態に戻す手術が行われた。
手術室の前で私を見送る夫の姿が目に焼き付いた。
信頼できる先生だったので、特に緊張はなかった。
手術室はステンレスに囲まれた無機質なシェルター。
みんな薄緑の服を着てマスクに帽子。
「○○XXmg入りました」「△△YYmg入りました・・・」
ついに全身麻酔薬が注入された。
何も変化は起こらない。
と思った3秒後、
ギュイーンと頭が鳴った。
人の話し声がうねり始め、
どんどん高音になって、
機械音になって、
超音波になって消えていった。

次の瞬間、体がふわりと宙に浮かんだ。
さあ、出発だ。
私は小さな透明のカプセルに乗り込んだ。
無重力の宇宙、カプセルはものすごい勢いでレールの上を進み始めた。
光と闇が交互に訪れる。
ついに光の速度に達した。
Matrixだ。
ここは本物のMatrixなんだ。
映画のCGどころじゃない、もっと凄い。
初め広大だった宇宙は、次第に細いホース状になり、
ミクロのパイプの中をもの凄い勢いで走り抜けた。
永遠に続き、うねる幾何学模様。
音も色もほとんどなく、メタリックに薄緑の空間。
何度カプセルを乗り換えただろう、ついにカプセルは私の脳細胞の中に到達した。
そこでは、脳が電気信号を送受している様子が見えた。
人間は電気信号で出来ている。
苦しみも悲しみも、愛も喜びも、
すべてはこのとんでもなく複雑な電気信号の為せる技なのだ。
いつのまにかカプセルは消えて、私の体はどんどん狭い管の中を走っていた。
止まらない。
どこまで行ってしまうんだろう。
ここまで来たらもう元の世界には戻れない。
止まらない、止めて、
助けて、助けて。
声にならない叫び。大きな恐怖の中にいた。

と、一瞬、いきなり手術室の天井が現れた。
頭が混乱した。
また一瞬、見えた。
次第に間隔が狭まり、混線しだした。
ものすごく遠くから、誰かが呼ぶ声がする。
「終わりましたよ。分かりますか。」
私は、「あ」と返事をした。
そうだ、手術をしていたんだ。

それから寝たままガラガラと手術室を出て、
病室に寝かされたのはおぼろげに記憶している。
朦朧として周囲の状況はほとんど把握できないが、
夫がそばにいるのだけはすぐに分かった。
「あ」「あ」
全く動けないので眠っているように見えるだろうが、
夫が何をしてくれているか、どんなに気遣ってくれているかは全部分かっている、
そのことを伝えたかったのだが、口さえも動かない。
それから、体験したことのない強烈な痛みに耐えて、
2時間ほど経っただろうか、次第に、周囲の状況が見えてきた。
少し体が動くようになり、少し言葉が話せるようになった。
夫にMatrixのことを話した。
先生に対しても感謝の気持ちでいっぱいだった。
何もかもが完璧だった。
結果としては、ここに来て本当に良かった。
たまたま日曜でもやっている病院に転がり込んだのだが、
こんな良い病院、そうそう出会えるものではない。

その日の午後に退院した。
義母が車で迎えに来てくれて、
また授かるから、と優しく温かくなぐさめてくれた。
東京に帰った。
私が寝ている間に、夫が夜の食事を作ってくれた。
料理ってこんなに良い香りがするものなんだな、と思った。
寝ている間に風呂の掃除までしてあった。

次の日、手術のことを、病院のことを、思い出していた。
トイレで胎児がコロンと出てしまったこと、まだ全く形はないが。
病院で履いたスリッパ、その日着ていた洋服、
病院にあったものすべてが疎ましく、忌まわしく、
全裸で手術台に縛り付けられていたことが
恐怖の体験となって、私の心に迫ってきた。
もうあんな病院のこと、思い出したくなかった。
でも、夫が教えてくれた。
みんなが私を助けてくれたのだと。
その言葉に救われた。

もうこのお腹には誰もいない、
お酒も飲める、コーヒーも飲める、
栄養を考えて牛乳を飲んだり野菜を食べたりしなくてよい、
走っても運動してもよい、安産のお守りはもう要らない。
日常生活の端々に、いつのまにか存在していた我が子。
喪失、死、別れ。
それは、いっぺんに失うものではなく、
そうやって日々少しずつ、失っていくものだ。

一番の幸せは、
夢を叶えることでもなく、目標を達成することでもなく、
人の為に生きること、なのだろう。
それは家族でも、社会に対してでもよい。
ほんの短い間だったが、この体に2つの魂が宿っていると思うと楽しかった。
とても可愛がっていた。
自分の為だけでなくこの子の為に生きていた。
つかのまの夢を見せてくれたこの子と、私の周りのすべての人に、
すべての幸運に、感謝している。