ペットの死とは時に我が子の死
ペットロス。この言葉を目にして思い出した。
一人暮らしの友人の、犬や猫が亡くなる、ということに何度か出会ったことがある。私自身は、魚類か昆虫しか飼ったことがないので、どんな感じか全く分からない。
室内か屋外か、飼い主は一人暮らしか大家族か、など、状況によって大きく違うだろう。特に、一人暮らしで、室内で犬猫を飼うということは、我が子が先に死ぬ感覚と大なり小なり共通点があるのではないだろうかと思う。成長して社会人になる、という未来を描いていない点では、人間の子供とは失うものが違う。一方で、犬猫は必ず、可愛い子供のまま、先に天国へ行ってしまうのだ。
人間の子供と同じように考えてみると、例えば、次の朝、食べるはずだったごはん。夜、どこかひんやりとした布団。2日後、ネットで注文していた、おもちゃが届く。1週間後には、冷蔵庫の中の、その子の食品は処分しないと。
朝のルーティーン。いることを前提とした行動。一緒に食べたゴハン、一緒に笑ったテレビ、その記憶の共有はどこへ。夜更かししていると、まだ寝ないの、と心配してくれる、私の日常をすべて知っている、守ってくれる、その子の記憶の中の私はどこへ。私の中に、その子はいるのに。片割れの記憶。失われるのは私の方かもしれない。
何か月か経ったら、お洋服は半分リサイクルに出そうか。お気に入りの毛布はいつまで取っておこう。家具もレイアウトを変えようか。その子仕様の家は、いつか少しずつ、新しい日常として生まれ変わる。新しい一歩を踏み出す。
家を自由に空けられる。何の心配もなく、誰に心配されることもなく、夜遅く帰り、仕事で宿泊したっていい。新しい毎日が始まるたび、日々少しずつ失われる何か。
他の誰とも違うその子。小さかった、赤ちゃんの時の記憶。どんどん大きくなった。本人は覚えていない。結局のところ、生きていようが死んでいようが、自分の思い、でしかない思いを糧に。
幸い、私は家族を失うということを一度も経験したことがなく、今後もないだろう。体の弱い子供も、ありがたいことに、まず私より先ではなさそうだ。家族を失うことも、ペットを失うことも、想像もつかない。
そんなことを友人に話したのを、ふと思い出した。