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自己不全感は時に前へ進む力になる

 

「ママがミカンのかわむいてー。ねぇ、白もとってー。」

娘の女子力の高さ。私には真似できない。当たり前に自分で出来ることを、わざわざ人に頼むという、その発想。

ミカンの皮、むいてやったら、まだ不足がある様子だったので、身を一個ずつにして、ずらっと並べた。娘の満足気な顔。私の背中に回って、ぎゅーっと抱きついてくる。
「ん、ん、ん。」
と、手を伸ばし体を揺らす。テーブルの上のミカンが届かないという仕草。届かないわけがない。

こうやって甘えて育った子供は、人に頼ることで、人と共に生き、良好な関係を築くのだろうな。大人で依存心の強い人というのは、むしろ幼少期の甘え不足があるのかもしれない。だから、「ママやって」は今のうちに。

自分自身のコミュニケーション力不足を感じる。我が子ながら、娘を見て、どうしたらこうなれるのかな、と思う。娘は、思ったことが全部、言葉や行動に出る。

私は、なかなか人に話しかけられないし、話しても伝わらない。言いたいことを我慢しているわけではなく、言いたいことが思い浮かばないのだ。すごく大人しくて気が小さいかというと、たぶんそうでもない。

会社の電話を取ったが、どうにも言葉が出ず、聞き取れず、記憶できず。何度か挑戦したが、だんだん慣れてくるということはなく、一定して話せないので、緊張が原因ではない。迷惑になるので諦めた。オフィスに人が少ない時も、私ではなく役員が電話を取る。肩身が狭い。それを役員がどう思っているのかも、聞けない。

20年以上前、大卒後の就職で、代表電話の席に配属された。周囲からはなぜか電話応対を褒められる。そしてなぜか話が上手いと言われて、会社行事の司会など担当した。

私は生まれた時から産声も上げないほどおとなしかったらしい。その後もほとんど泣かず、発語自体は早かったようだが、学校に入ってからは、初めて声聞いたよと、何度か言われた。

だから、もともとそういう風なのだろうけど、不便だなあと自分で思う。一対一で、相手がよほど聞いてくれれば、よく話すこともあるが、実は後から脳貧血や発熱。どうしたらいいのだろう。

書くしかないのかな。こうして私が書いたものを読んでいる人は、私がよく話していそうな感じに錯覚するのだろうか。

そんなことを考えていたら、「三日月」という言葉が目に入った。もっと自信を持てたら良いのだろうけど、人は自分の全部に自信があるわけではない。

自己不全感は、力になることもある。自分に欠けているもの、という意識があるからこそ、強く前に進める。