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お手伝いは、小さな優しい神の手

 

娘のお手伝いが、神の手に見える。日々、究極に時間の無い私には、大きな救いに感じる。

家の中にはしょっちゅう、洗濯物の山があり、そのままにしておくと、「ママー、パジャマは。」「ママー、タオルない。」「ママー、靴下。」「ママー、ママー。」と、全部呼ばれる。何もかも中断、中断。子供が自主的に探し物をした後は、さらにカオスだ。これが子供の睡眠時間を削る原因にもなっている。

娘は最近、喜んで洗濯物を畳んでくれることがある。仕上がりはグシャグシャ。それでも、年中さんにしては器用だろうと思う。

ヘルパーさんにやってもらうより、助かるんじゃないかと思っている。ヘルパーさんやシッターさんは一度も利用したことが無いが。

娘の何が助かるかって、黙って「いつもどおりに」やってくれること。洗濯物を「畳む」とは、「分類」し「収納」すること。バスタオルは脱衣所に、キッチンのタオルはキッチンに、洋服は各々の収納に。分類収納をやってくれる人は、家族以外にはいない。

子供の洋服の引き出しだけは、後からこっそり手直しする。うちはほとんど、乾燥機仕上げ。せめてシワ伸ばしを、というのも一つだが。

手直しをしなかった日、娘はどうしたかというと、目当ての洋服が探せず、引き出しの中身を全部ぶちまけた。これは二度と見たくない。だから、一目で探せるように入れ直す。

我が家の一番の時短は、子供が黙って「自分のことを自分で」やってくれることなのだ。娘は黙って毎朝、今日のコーディネートを選ぶ。いや、たくさんの独り言は言うが、とりあえず一人で出来る。

ただ、この神の手は、ものすごく気分屋で、移り気。期待は出来ない。結論として、ほとんどやってくれない。

おもむろに、
「ママの手、大好きー。大好きなのー。」
と言って、ぎゅーっと私の手を、小さな両手で握ることがある。長年よく使った、決して手触りの良くない私の手だけど。そんな娘の手もまた、優しい神の手。