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100年の天使、老衰にて

 

祖母の葬儀で遠方へ行ってきた。大正生まれで、100歳で老衰、どこも悪くなく、最後にやりたいことも特になく、静かに眠ったとのこと。祖母の姉と妹も、昨年に老衰で亡くなったらしい。祖父が20年前に亡くなってから、ずいぶん長く感じる。

祖母の家には、三女の叔母一家が同居していて、近年何度か子供を連れて訪れたことがある。祖母はいつも「ちっとも、どっこも悪いことないよー。」と健康自慢をしていた。おばあちゃん、ひ孫が7人よ、と言われるたびに、目を丸くして驚いて、初めて聞いたような顔をして、ものすごく愉快そうに笑っていた。現在はひ孫が9人。幸せなことだ。

その祖母が、綺麗な顔をしていた。オイルマッサージを受けたとかで、シワもなく色白になって、なんだか美人で、子供みたいにも見えて、満足したような、すこし微笑んだような顔で眠っていた。

100年の天使だ、と思った。神々しく見えた。

周りに住む祖母のひ孫たちが涙を流していた。うちの子から見たら、はとこ。高校生とか中学生とか。

葬儀で、ほとんど写真でしか知らない祖母の長女のところのいとこと、初めて話せて良かった。祖母の長女である叔母、そして叔父もすでに亡くなっている。

祖母は、死んだらお母さんに会いたい、と言っていたらしい。祖母の母は、祖母が6才の時に亡くなり、ずっとめかけに育てられた。戦前か戦争中に結婚して娘を3人生んだが、母親というものが分からず、きっと育児に苦労したんだろう。裕福な家柄と、戦争による貧困の落差にも苦しんだ。その心の陰が代々。

祖母は、祖母のお母さんや、祖父、叔母に、会えたかな。葬儀に、祖母の友人は誰も来なかった。みんな先立ったからだ。たくさん生きて、たくさんの人と別れてきたんだけど、それでも明るく、境遇を克服して幸せをつかみ、満足して死んだ。

祖母と同居していた、三女の叔母のところの叔父が、最後の喪主挨拶で、話しながら、おいおいと泣いた。

すごいな。血縁ではない義理の父母を、どちらも長年かいがいしく喜んで介護して見送った。介護と仕事で苦労しながら、家族のためにそれなりに財も築いた。なかなか出来ることではないと思う。

遺影の写真は、うちの息子を抱っこしているものを切り抜いた写真だそうで、驚いた。2009年、息子が生まれたので、生後4か月で、赤ちゃんを見せに行ったことがある。娘が生まれた時も同様に行ったが、祖母とはその程度の関わりだ。周辺に住むひ孫たちとの写真はたくさんあるが、うちの子よりもだいぶ年上で、この、赤ちゃんを抱いた写真が、祖母の近年で一番美しい写真だったとのことだ。

私も、息子も、娘も、葬儀へお別れに行った。親戚からは、よく連れてきたねと言われた。祖母はたぶん喜んでいると思う。もう亡くなっているから、どう思っているか分からないけれど、私の心の中の祖母が喜んだから、それでいい。

自己満足ではないと思う。人って、生きていようが死んでいようが、本質的にそういうものだと思う。うちの子供たちでさえも、ずっと目の前にいるわけではないけれど、どれだけ思っているか、いつも心にいるか。人の存在とは、半分は人の心に生きるものだ。