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働くママとその母の生きる道

 

私の友人であるママさんが、実母のことをストレスに感じると言う。
残業時に実母に保育園にお迎えに行ってもらったりすることがあるというのだが、
助けてもらえばもらうほど、関係がぎくしゃくするのだとか。
古い育児を押し付ける、お菓子ばかり与える、
など、助けてもらったありがたさ半分、迷惑半分。

実母自身は、核家族の専業主婦。
子供のために仕事に就かず、家庭に尽くし、
少し離婚が思い浮かぶことがあっても子供のために我慢し、
近隣に住む両親の介護に笑顔で通い、明るく一生懸命であったとのこと。
実母自身が頑張ることで、娘に楽をさせたいと思っていたようだ。

だから、娘がママになって、それでも仕事を続け、
しかも人が喜んでやらない自己犠牲的な職業を自ら希望して選び、
頻繁に残業までしていることが理解出来ないし気に入らない。
でも娘のその生き方は、実母の生き方そのものであり、
実母が、人が喜んでやらないことを我慢して笑顔でこなしてきた、そのままなのだ。
それが娘というものだ。子は母の背中を見て育つ。

今の世の中、首都圏に住んで、夫の収入だけで食べていけて、
子供に習い事をさせ、大学まで行かせられる家庭は一握りだ。
それに女性の能力、労働力は貴重で、出産を理由に
簡単にキャリアを放棄することは難しい。
親の助けがある家庭も少ない。
保育園にも中途で入れる保証は無いから、
生んだらすぐに保育園を探し、0才から保育園に入れる。
0才で保育園に可愛い我が子を託すママさんが、
どれだけ涙をのんでいるか、産後まもなく働くということは
帰宅すれば夜から朝まで赤ちゃんの世話で休む間もない、
それがどれほど大変なことか、世の中の大半は知らないだろう。

でも、ゆとりの祖父母世代から見れば、
育児を放棄して、自分の好きなことをしている。わがままで自分本位。
生んでおいて責任が無い。愛情不足で子供がかわいそう。母親なのに。
と、思い込む一方で、意外にも子供がきちんと育っている。
友人のお子さんは、いつも笑顔で積極的で発達が早く、
先生からもよく誉められるような賢い子で、きちんと甘えることも出来て、
非の打ち所が無いのだ。
人がイメージする育児放棄の家庭の子とは真逆だ。

だから実母は悔しいだろう。
かつて専業主婦で、母親らしく、妻らしく生き、
自分のやりたいことなど何一つ出来なかったのに、
それでも子供のためと信じて我慢して頑張ったのに、
娘は堂々と自分の道を目指し、片手間で子供を世話しているように
見えるのに、よっぽど素晴らしい子が育っている。
娘が仕事で悩んでいたりすると、
ほらごらんなさい、両立出来ていない、と追い打ちをかけたくなる。
自分で好きで選んだことなのに、と言いたくなる。
娘の育児を一方的に認めることは、実母自身の育児を、生き方を、
全否定することになるのだ。

都心の保育園に通っている子供たちを見て欲しい。
大半の子が、どんなに輝いているか。どんなに真っ直ぐに育っているか。
悔しいかもしれないが、それが答えだ。
都心で働くママさん達の多くは、輝いている。
そうすると、その子供たちもみんな輝いているのだ。

実母は、出来の良い孫をよく誉め、
すれ違う若いママさん達をよく誉めるが、
娘だけは誉めない。どうにも誉められないのだ。
それは実母が誰からも誉められず、認められず、
やって当たり前、普通にやったらようやくゼロで、
むしろ文句を言われながら頑張ったからだ。
だから、愛が欲しい。せめて孫に愛されたい。
そして必死で孫にお菓子を与える。

実母はよく頑張ったのだ。素晴らしい娘を育て上げたのだ。
その娘であるママさんは、産後もなお働いて世の中に尽くしたいと、
信念をもって生きることが出来る人。
さらに、そのママさんの小さな子供が、
頑張るママを見ながら生き生きと育っている。
だからこれで良かったと、育児は成功なのだと、
お互いの生き方を認めてあげることが出来たら、
さらに欲を言えば、実父が聞く前でそれが言えたら、
と思うが、はたから見て言うのは簡単。
これは私の想像で、実際にはもっと別の事情があるかもしれないし、
本当に難しい。

幸せな子を育てるには、子供をどう育てるかというよりも、
母親自身が、自分をどう育て、幸せになるかを考えるのが一番の近道だ。
それには、理解されること、認められることが、欠かせない。
幸せに生きている母親は必ず、我が子が可愛くて仕方がないはずだ。
母親が笑顔で生きていれば、子供から見て、未来は夢でいっぱいだ。