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ここで暮らしていく

 

震災の日記を振り返るとあの時の空気が蘇ってくる。

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<< 続・買い占めは本当にあったのか

被災された方々のことを考えると、なかなか言えないのだが、
我が家は去年の3月から、食品の安全性に気をつけている。
残念ながら、産地を目安としている。
もし、個々の商品の放射能の値が分かれば、
むしろ積極的に被災地のものを購入したいのだが、分からないので、
なるべく被災地から遠くで、なおかつ信頼できるものを買う。
幼い子供がいるからだ。
今は主に宅配で取り寄せている。水も購入している。
国の暫定基準値のものだけを何年か食べ続けると致死量だという説もある。
被災地も心配だが、自分の子供たちの命には代えられない。
私自身も、授乳があるので、気をつけている。

近所の線量もそこそこ高いことが分かっている。
被害はチェルノブイリを超えるのだろうから、
東京も出来れば避難した方が良いだろうと思う。
原発の爆発があって直後に、被曝のことを言い出したのは夫だった。
私一人では、すぐには気付かなかったかもしれない。

震災後、息子をなるべく外へ出さないようにしていた。
一週間は、完全に家で過ごし、その後どうしても出る時は、
ベビーカーにカバーをかけて、私もマスクをして出た。
二週間経って、私は一度だけ息子を外で歩かせてみた。
夫は心配したが、私には別の心配があった。

その心配は的中した。
外に出た息子は、ハイハイを始めたのだ。その時、1才11か月。
公園まで出ると、今までどおり、元気に走り回り始めたが、
すぐに滑り台の階段の一段目につまずき、顔面を打って流血。
そしてすぐに4月になって、保育園に通い始めた数日後、
帰り道で段差につまづき、二度目の流血。今度はコンクリートの角に
目を直撃し、眼科と形成外科で精密検査を受けた。
宙返りするように激しく転んだわりには、幸い問題はなかった。

うまく歩けなくなっているのだ。
普通に1才過ぎで歩き始め、運動は十分に得意な息子だが、
二週間歩かなかっただけで、すっかりよちよち歩きに戻っていた。
これでは、頭を打ってしまうことの方が危険だ。

保育園に入って、給食は通常どおりに出していただいた。
特別に家から弁当を持たせることはしなかった。
息子にはなるべくみんなと違うことはさせたくなかった。

引っ越した方が良いのかどうかまで考えた。
私は、生き方を変えてまで引っ越したくはないと思う。
きちんと運動してきちんと栄養を摂って、病気に負けない
健康な体づくりをすることも、大事なこと。
それで済まされない事態になった時は速やかに逃げると思うが、
今は、東京が消えるまでは、ここで暮らしていこうと思う。