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逆効果、文部科学省から小学校へ自殺対策プリント

 

「だれにでも不安やなやみはあるものです。一人でかかえこまず、家族や先生、学校のスクールカウンセラー、友達、だれでもよいので、なやみを話してみませんか。」

文部科学省から小学校へ、自殺対策と思われるプリントが時々配られる。

「だれにでも」「だれでもよい」

この言葉は、死が思い浮かぶほど悩んでいる人に最もかけてはいけない言葉ではないだろうか。

誰にでもあるようなことだと思えるなら、「悩み」ではない。みんなも一緒、という感覚は、悩んでいる人の気持ちにそぐわない。

誰にでも聞いてもらえるようなことなら、「悩み」ではない。誰が読むかも分からないアンケートに書いてみて加害者に伝わり、虐待にあった子供の例を学習していないと思われる。

話しても伝わらない孤独や疎外感、それが「悩む」ということだ。逆に、元気そうに見えるが孤独を感じているようだとしたら、それは見た目よりも深刻な悩みだということだ。人の心が元気かどうかなんて、見た目からはほとんど推測できない。

「悩み」とは、他の誰の悩みとも違う、その人一人だけの悩み。悩みを聞く、とはそんなに簡単なことではない。それに、相談を本人任せにし、本人の責任にしていては、いつまでも子供の自殺は減らない。「まず話す」より「まず聞く」という姿勢。子供の行動を待たない。

子供の相談先の1番が家族で2番が先生になっている時点で、デリカシーのなさを感じる。子供は、家族や先生が相談相手として不適切な時「悩む」のではないのか。

娘が「プリントが最悪」と言うので、娘とこんなことを話し合いながら意気投合した。このプリントを本当に悩んでいる子供が読んでしまわないことを祈る。